大牟田線が急行電車と称し、関西の大手私鉄を思わせる高速運転を行っていたのに対し、宮地岳線はローカル私鉄そのものでした。福岡市内線、貝塚から津屋崎まで、21.0km、ゲージ1067mm、全線単線、架線電圧DC1500Vの路線で、昼間は単行の電車がのんびり走っていました。起点貝塚を出て、まもなく、石作りのアーチが並ぶ橋で多々良川を渡ります。これが、この線の見どころで、昭和39年鉄道旅行でも、ここで、撮りました。
多々良川を渡るモ1形、モ1 貝塚ー名島 1964-4-27
宮地岳線の前身、博多湾鉄道汽船が大正14年(1925年)の全通時に作った木造客車を昭和4年の電化時に電車化、これを戦後、鋼体化改造したものですが、昭和初期のスタイルをしています。
多々良川を渡るモ1形、モ8 貝塚ー名島 1964-4-27
昭和4年(1929年)の電化時に製作した電車で、当時の標準的なスタイルです。モ4ーモ9まであり、当時の主力電車でした。
多々良川を渡るモ10形 貝塚ー名島 1964-4-27
モ10形のモ13−17のいずれかと思われます。この中には、大阪電気軌道(大軌)のデボ201形 の木造車体に狭軌の台車をはかせた電車の鋼体化改造車もあるようです。全金属製、張上げ屋根の当時としては近代的なスタイルでした。
多々良川車庫の横を走るモ10形、モ11 貝塚ー名島 1964-4-27
モハ11は昭和11年(1936年)の新製車で、新製当時はクロスシートを備えていたようです。
モ1形、モ5 多々良車庫 1964-4-27 モ10形 モ18 多々良車庫 1964-4-27
モ18は大牟田線のモ101系の制御車の車体に新製の狭軌電動台車をはかせたものとのことです。
ク50形 多々良車庫 1964-4-27 ED200形、ED202 多々良車庫 1964-4-27
ク50形はモ10形の相棒で、この写真の車は上に載せたモ10と同じく、種車が大軌デボ201形であるものが多いようです。
ED202は昭和24年(1949年)の新製で、貨物輸送廃止で、専ら、多々良車庫の入れ替え用に使われていました。
宮地岳線は大牟田線に比べ、輸送量も微々たるもので、近々、筑前新宮ー津屋崎間の末端部が廃止になるようですが、残りの部分は単線ながら、高架化、駅の近代化されたところもあり、福岡の近郊路線として存在を続けるようです。
参考文献
鉄道ピクトリアル1969年9月号通巻228号 私鉄車両めぐり(79)西日本鉄道
(2007-1-25)
(2016-11-2)タイトル更新