西鉄大牟田線(1983年)
西鉄大牟田線(現天神大牟田線)は関西、首都圏以外でただひとつの標準軌(1435mmゲージ)の高速私鉄電車線ですが、1964年(昭和39年)に友人と訪れてから、ご無沙汰をしておりました。
それから、ほぼ20年後に業務出張の折、少しの時間を見つけて訪れました。主な目的は200形に会うことでした。もう、本線の運用から外れ、甘木線で走っているとのことでした。甘木線の列車は宮の陣から西鉄久留米を経て花畑まで本線に乗り入れていましたので、西鉄久留米で待ち構えることにしました。
ヘッドライトがシールドビームの2つ目玉になっており、扉が鋼板製になり、前面の隅の窓の上半がHゴムで固定されているのが、大きく変わったところですが、マルーンとアイボリーのツートンカラーもそのままで、原型の雰囲気を保っておりました。正確には以前は屋根もマルーンであったように思いますが? 3両固定編成でソーセージが3本繋がっているように見えるのももちろん変っていませんでした。
200系の仲間の変わり種、ク60形もいました。これは、博多湾鉄道汽船(JR香椎線、西鉄貝塚線の前身)が製作したガソリンカーを電車の制御車にしたものです。モ200形と2連で走っていました。これはモ212+ク64と思われます。
2000形が西鉄の看板列車として、福岡〜大牟田間の特急として走っておりました。1972,74年に誕生した2000形の全盛時代でした。運転台が真中にあり、特異なスタイルをしておりました。
かっての特急車1000形も生き残っていましたが、普通電車として2000形特急を待避しておりました。
3扉、ロングシート化され、色も通勤車の色になっておりました。
600形は1962年(昭和37年)から作り始めたWN駆動、3扉(両開き)本格的通勤形高性能電車で、1964年(昭和39年)に訪れた時はピカピカの新車でした。
パノラミックウインドウを運転席側だけに設けたやぶにらみ5000形は通勤電車の主力でした。しかし、この顔を見てびっくりしましたね。
これから、また、ほぼ30年が経ちました。お目にかかった電車で今でも走っているのは5000形だけになってしまいました。
(参考ウェッブサイト)
ヴィキペディア、フリー百科事典「西鉄200形電車(鉄道)」
(2012-10-22)