箱根へ行く小田急ロマンスカーは1957年(昭和32年)に3000形SE車が運行開始して以来、人気があり、1963年(昭和38年)3月、3100形NSE(New Super Express)の登場により、さらに高まりました。特に、関東地方で初めての前面展望室に乗るのはあこがれの的でした。
1964年(昭和39年)12月5日(土)に勤務先の忘年会でNSEで運行の新宿11時30分発「第5あしがら号」に乗り、箱根に向かいました。
展望席はとれず、通路にお邪魔して、少し、撮らせてもらいました。そのため、多くはありませんが、今とは全く違う小田急の顔ぶれをご覧頂きたく思います。
場所の考察、同定は小田急に精通されているむーさんにお願いし、ほぼ同じ場所で最近撮られた画像も頂きましたので、載せさせて頂きました。
青字のところはむーさんのご考察によるもので、最近の画像はむーさん撮影です。
以下、むーさん/はーさんのコラボレーションです。
百合ヶ丘〜柿生間でNSE、3100形、「あしのこ号」新宿行に出会いました。この時代、百合ヶ丘駅を出た下り電車は道路に沿って曲がって行きました。この写真の正面の丘を開発し、新百合ヶ丘駅が出来、線路は直進するようになりました。
鶴川〜玉川学園前間の2200形、新宿行、普通電車です。2200形は小田急で最初のカルダン駆動電車でした。踏切は鶴川駅から2つ目の「鶴川第二踏切」です。のどかな風景が広がっておりました。
これは最近の「鶴川第二踏切」を行く、VSE、50000形、箱根湯本行特急です。踏切ぎわの建物は健在です。
玉川学園前〜新原町田間の5000形気動車(5001)、御殿場発新宿行「銀嶺」です。背後の陸橋は東橋です。
最近の東橋付近を行く、5000形新宿行急行です。畑であったところも家が建てこんでおります。
小田急創業時の1200形もまだ健在でした。これは新原町田行(小田原発?)の1209を先頭とした3連です。
この頃の新宿〜箱根湯本間の特急は土曜日には30分間隔で運転されていました。3000形SE車も活躍しておりました。これは新宿行「あしがら号」です。
謝辞
むーさんに撮影場所の考察、同定を頂き、最近の画像も提供頂きました。深謝いたします。
(2011-2-1)
(2016-11-4)タイトル更新