1964年(昭和39年)当時、大分交通には耶馬溪線、宇佐参宮線、国東線の三つの鉄道線と軌道線の別大線が存在しておりました。今は全てありません。
国東(くにさき)線は日豊本線杵築から石仏で知られる国東半島東岸に沿って走り、国東までの36.3kmの路線でしたが、1961年(昭和36年)10月の集中豪雨で安岐ー武蔵間の鉄橋が流出し、この間をバス連絡していました。訪れた年の8月末には安岐ー国東間が廃止になり、1966年 (昭和41年)4月には全線廃止になって終いました。
杵築駅構内 1964-5-3
日豊本線杵築駅の北側に短い国東線ホームがありました。島式2線のこじんまりしたものでした。
杵築駅日豊線下りホームからの国東線ホーム 宮さん撮影 1964-5-4
日豊本線下りホームから見た国東線ホームです。キハ50がトレーラを牽いて、客を待っています。
発車を待つ下り安岐行、キハ50「ちどり」 杵築 1964-5-3
キハ50に乗車して、安岐に向かいました。
上り杵築行、キハ602「しおかぜ」 1964-5-3
キハ600形、キハ602「しおかぜ」と途中駅で、列車交換しました。国鉄キハ10をベースに前面2枚窓、車長18mにモデファイし1956年(昭和31年)、1960年(昭和35年)に4両作られたキハ600形の偶数の2両は国東線に配属されました。大分交通の最新ディーゼルカーでした。
安岐駅到着のキハ50「ちどり」 安岐 1964-5-3
杵築から18.1kmを約50分で安岐に到着しました。
キハ50は筑肥線の前身、北九州鉄道が1935年(昭和10年)に製作したジハ51です。国鉄を経て、耶馬溪線キハ105と同時に譲り受けたもので、キハ105(元北九州鉄道ジハ61)より、車長16.4mとやや小型です。
安岐ー武蔵間はバス連絡でした。
孤立した武蔵ー国東間
集中豪雨で鉄橋が流され、安岐ー武蔵間が不通になっていました。武蔵ー国東間は孤立していましたが、列車 は運行していました。しかし、この年の8月に安岐ー国東間が廃止されてしまいました。 終焉に近い武蔵駅、国東駅の様子です。
国東行キハ30「かもめ」 武蔵 1964-5-3
武蔵駅にはキハ30「かもめ」が国東行として、代行バスからの乗客を待っていました。武蔵駅は松林の中の寂しい駅でした。 キハ30は 国鉄小海線の前身、佐久鉄道のガソリンカー、キホハ57{1931(昭和6年)新造}を戦前の1943年(昭和18年)、鉄道省から譲受したものです。上田丸子電鉄にもおなじスタイルの車が居たと思いますが、信州から遠く離れた九州の国東半島の孤立した路線で最後の走りを見せているのは、感慨深いこととおもいました。
武蔵駅に留置のハフ56、ハフ55 武蔵 1964-5-3
武蔵駅のホームの端に4輪客車ハフ56、ハフ55が留置されていました。ハフ55、56は1923年(大正12年)に鉄道省から譲り受けた「明治の客車」でした。 譲受後、屋根のダブルルーフ等大幅に改造されているようでした。
キハ20「はましぎ」 国東 1964-5-3
武蔵ー国東間には3両の気動車が取り残されたようです。常時、1両の運行でしたので、国東駅で眠っていることが多かったようです。 キハ20は1935年(昭和10年)に国東鉄道が新製した最初のボギーガソリンカーで、標準的な私鉄GCのスタイルです。
キハ501「さざなみ」 国東 1964-5-3
キハ501は昭和初期の半鋼製電車のスタイルをしている来歴が不明瞭な車です。1938年(昭和13年)に耶馬溪鉄道が増備した もので、元は和歌山鉄道向けに昭和3年に日車が製作した片ボギーガソリンカーのようです。後に、参宮線に転属し、ディーゼルカーに転換後、1954年(昭和29年)にボギー車化を小倉九州車両で実施し、その後、国東線に転属したとのことです。ボギー車化の時、車長も約1m長くなっており、どうも、どこか(西鉄、宮地岳線??)の出物の車体を乗せ変えたのでは無いかと も思います。
ハニフ11 国東 1964-5-3
ハニフ11が国東駅の側線に休車の札を下げて居ました。国東鉄道が1931年(昭和6年)に新製した片ボギーガソリンカーを客車化したものです。
武蔵駅進入のキハ30 1964-5-3
武蔵駅構内 1964-5-3
駅前より見たホームで発車を待つキハ30 武蔵 1964-5-3
折り返しのキハ30で武蔵まで帰ってきました。閑静なただずまいで、模型のレイアウトの雰囲気がありました。
武蔵ー安岐間列車代行バス 武蔵駅前 1964-5-3
武蔵駅前から列車代行バスに乗り、安岐に戻りました。キハ30よりこのバスに方が大きいようにも見られます。廃止は必然であったのでしょう?
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上り杵築行キハ604「なぎさ」+ハフ54 安岐 1964-5-3
安岐駅にはキハ604が4輪客車ハフ54を従え、客を待っていました。キハ604は前面窓の上下に隈があり、他のキハ600と容貌が変わっていました。
上り杵築行キハ604「なぎさ」+ハフ54 安岐 1964-5-3
ハフ54も1889年(明治22年)製の木造4輪客車を1923年(大正12年)に鉄道省から譲り受けた正に「明治の客車」でした。しかし、屋根のダブルルーフ等大幅に改造されているようでした。
下り安岐行キハ602「しおかぜ」 1964-5-3
キハ604に乗り、杵築に戻りました。途中駅で又キハ602と列車交換しました。杵築ー安岐間はキハ50、キハ602、キハ604の3台の気動車で、常時、運転されており、これは1966年の廃止まで、変わらなかったようです。
最後は、杵築の車庫にあった車です。
ディーゼル機関車 D33 杵築 1964-5-3
国鉄DD11相当のディーゼル機関車D33、D34も配属されていましたが、出番は少なかったようです。
ハニフ59 杵築 1964-5-3 ハ二フ12 1964-5-3
ハ二フ59は旧九州鉄道がドイツから輸入した2等車で、段落形ダブルルーフ、オープンデッキなど、「明治の上等客車」の雰囲気が最も残っている4輪客車でした。
ハニフ12は前述のハニフ11と同じく、国東鉄道が作った片ボギーガソリンカーを客車化したものです。
ホハフ201 杵築 1964-5-3
ホハフ201は1922年(大正11年)国東鉄道が開業に際して、新製したオリジナルの木造ボギー車です。
武蔵ー国東間、廃止4ヶ月前、全線廃止の約2年前の国東線の様子でした。耶馬溪線と並んで、大分交通の主要鉄道路線であったようですが、 水害の為、鉄橋が流されたのが災いして、いち早く姿を消してしまいました。
謝辞 広島のとしさんからカラー画像を当時の塗色に合わせて、修正したものを頂きました。その画像に差し替えさせて
頂きました。ご協力感謝致します
参考文献
鉄道ピクトリアル1966年7月号臨時増刊 通巻186号、私鉄車両めぐり、第7分冊 大分交通 国東・宇佐参宮線
(2016-11-4)タイトル改訂
(2008-1-21)改定
(2007-7-6)