1964年(昭和39年)当時、大分交通には耶馬溪線、宇佐参宮線、国東線の三つの鉄道線と軌道線の別大線が存在しておりました。今は全てありません。
宇佐参宮線は八幡さまの総本社、宇佐神宮に参詣する為に作られた鉄道で日豊本線宇佐から宇佐八幡へと、宇佐から国東半島西岸の町、豊後高田までの8.8kmの短い路線でした 。ゲージ1067mm、非電化線でした。
宇佐参宮線車内券 宮さん撮影 1964-5-3
DF50牽引日豊本線下り列車と宇佐参宮線宇佐八幡行 宇佐 宮さん撮影 1964-5-3
宇佐駅の参宮線ホームは日豊本線下りホームの東側にありました。島式2線でした。
宇佐駅宇佐参宮線ホームとキハ503「かみばと」 宇佐 宮さん撮影 1964-5-3
ホームには上屋があり、真ん中に神宮を思わせる破風があり、日豊線に向かって、宇佐神宮への「列車のりば」であることを示していました。
DL21+キハ502「みやばと」 宇佐八幡行 宇佐 1964-5-4
ホームは東側、豊後高田側にあり、宇佐八幡にはU字状の築堤を登り、跨線鉄橋で、日豊本線をオーバークロスして行きました。上の写真の前方にその築堤が見えます。
DL21+キハ502「みやばと」宇佐八幡行 宇佐ー橋津 1964-5-4
宇佐を発車したDL21+キハ502は築堤上を登って行きます
日豊本線をオーバークロスするDL21+キハ502「みやばと」宇佐八幡行 宇佐ー橋津 1964-5-4
宇佐駅の大分側の日豊本線上の跨線鉄橋をDL21+キハ502は渡り、宇佐八幡に向かいます。
補機を従え宇佐を出発する日豊本線下り大分行 宇佐 1964-5-4
この跨線鉄橋の下を宇佐駅を発車した日豊本線下り、大分行普通列車がくぐります。前方に山が立ちはだかっていますが、この列車はこれから日豊線の難所、立石峠を越えねばなりませんので、D60の補機を従えています。
日豊本線オーバークロス橋上を行く豊後高田行 宇佐ー橋津 1964-5-4
宇佐八幡から、キハ502のみが豊後高田行として、帰ってきました。
日豊本線オーバークロス橋に続く築堤上を行くキハ502「みやばと」 宇佐ー橋津 1964-5-4
キハ502は元佐久鉄道の車で、如何にも、地方鉄道のガソリンカーと言う雰囲気を持っていました。
宇佐八幡駅 1964-5-4
宇佐八幡駅は堂々とした寺社建築でした。有名な出雲大社の大社駅にも比肩するものと思いましたが、どこかに保存されているのでしょうか?
宇佐八幡駅発車時刻表 宮さん撮影 1964-5-3
列車は日豊本線の列車に接続して13往復運転されておりました。
宇佐八幡駅構内 1964-5-4
構内には長い島式ホームが延びており、かって、正月初詣や例大祭等、参詣客が多いときには、長い編成の列車も到着したことを想わせます。神域の森がせまっており、宇佐神宮に来たという雰囲気がありました。
宇佐八幡駅構内の木造客車 宇佐八幡 1964-5-4
構内には車両基地(宇佐車両区)があり、木造の客車がたくさんおりました。
ホハフ101 宇佐八幡 1964-5-4 ホハフ102 宇佐八幡 1964-5-4
ホハフ104 宇佐八幡 1964-5-4 ハニフ112 宇佐八幡 1964-5-4
ハ二フ113 宇佐八幡 1964-5-4 ハニフ114 宇佐八幡 1964-5-4
ホハフ101、102、104、ハニフ112は前身の宇佐参宮鉄道が1921年(大正10年)から1923年(大正12年)に新製 したもので、明治の客車というわけではないようです。
ハニフ113、114は旧九州鉄道が1889年(明治22年)頃、製作したもので、正真正銘の明治の客車です。
キハ502「みやばと」 宮さん撮影 宇佐八幡 1964-5-3 キハ502の運転台 宇佐八幡 宮さん撮影 1964-5-3
キハ502は小海線の前身、佐久鉄道が1931年(昭和6年)に製作したガソリンカー、キホハ58を鉄道省から購入し、戦後、ディーゼルカーに改造されたものです。運転台は片隅開放式でした。左側の丸いハンドルはなんでしょうか?ハンドブレーキではないかと思いますが、非常用としては最も操作がしやすい場所にあります。小海線のような寒冷地の勾配路線では、常用のエアーブレーキが効かなかった場合、ハンドブレーキは重要だったのかも知れません。
キハ503「かみばと」 宇佐八幡 1964-5-4 ディーゼル機関車、DL21 宇佐八幡 宮さん撮影 1964-5-3
キハ503は筑肥線の前身、北九州鉄道が1933年(昭和8年)に製作したディーゼルカー、ジハ21です。運転席の窓上に簡単なフードがあるのが印象的でした。大分交通の他の気動車には見られませんでしたので、オリジナルのものなのでしょう。
宇佐参宮線はキハ502、キハ503で専ら運転されていました。
D21は1953年(昭和28年)に新製したL型20トンクラスの2軸ディーゼル機関車ですが、多客時には木造客車を牽引することもあったのでしょう。
蒸気機関車2号 宇佐八幡 宮さん撮影 1964-5-3 蒸気機関車26号 宇佐八幡 1964-5-4
蒸気機関車はD21の導入で、御用済みになって仕舞っていましたが、宇佐車両区には居ました。
2号機は1915年(大正4年)に1、3号機と共に作られ、当線の建設に先ず使用され、1916年(大正5年)の営業開始時より営業運転に使われた機関車です。小さなB型で、軽便の機関車のように見えます。1,3号機は既に無く、2号機も廃車扱いで、留置されていました。
26号機は1891年(明治24年)、ドイツ、クラウス社製で、戦後、国鉄から払い下げられたものです。D21が導入されるまで活躍し、訪れた時も動ける状態にあったようで、車庫の中にありました。
訪れた翌年1965年(昭和40年)8月には、バス化され、全線、廃線になって終いました。
参考文献
鉄道ピクトリアル1966年7月号臨時増刊 通巻186号、私鉄車両めぐり、第7分冊 大分交通 国東・宇佐参宮線
(2007-7-12)
(2016-11-4)タイトル改訂