1964年(昭和39年)当時、大分交通には耶馬溪線、宇佐参宮線、国東線の三つの鉄道線と軌道線の別大線が存在しておりました。今は全てありません。

 で、5月2日夜、鹿児島から日豊本線の夜行で、大分県の最北端、中津に来ました。鹿児島発19時22分発512レに乗車、中津には3日早朝6時35分に到着しました。

 

キハ600形キハ601「やまびこ」                中津      1964-5-3 

 

 鮮やかなグリーンとアイボリーのツートンカラーで前面2枚窓のキハ601「やまびこ」が出迎えてくれました。キハ600形は大分交通鉄道線の最新 の気動車で、国鉄キハ10をベースに車長を18mに縮め、前面非貫通2枚窓等、大分交通独自のスタイルとして、1956年(昭和31年)、1960年(昭和35年)に耶馬溪線用にはキハ601「やまびこ」、キハ603「かじか」が新製されました。トルコン付きですが総括運転は出来なかったようです。

このように、大分交通の気動車にはペットネームが付けられており、ほほえましいものでした。

 

 

 

 耶馬溪線は全長36.1km、ゲージ1067mmの非電化鉄道線で、運転時間は約1時間30分でした。

6時55分発守実温泉行に乗車しました。キハ601であったと思います。

 

D32牽引の上り混合列車                      1964-5-3 

 

 途中駅(大貞公園?)でディーゼル機関車D32に牽かれた上り混合列車と列車交換しました。D31、D32 は国鉄DD11とほぼ同じもののようです、1954年(昭和29年)新製の液圧式ディーゼル機関車でした。

 

D32牽引の上り混合列車の客車群                    1964-5-3 

 

 この列車はワム2両の後に木造客車を8両連結されていました。4輪客車の中にボギー車もあり、壮観でした。 これらは国有化前の九州鉄道、山陽鉄道の客車とのことで、遠く明治の名残の雰囲気がありましたが、惜しいことに気動車と同じ、鮮やかなツートンカラーに塗られていました。朝の通勤、通学のラッシュ対策の列車と思いますが、当時は輸送需要もかなりあったのでしょう。

 

上りDC列車、キハ100形、キハ104「せきれい」               洞門      1964-5-3 

 

洞門駅でキハ104を先頭にした上り列車が待っていました。キハ100形は昭和10年代初期に作られたガソリンカーを戦後にディーゼルカーにした地方私鉄に良く見られた車でした。

 

上記上りDC列車の後部               洞門      1964-5-3 

 

キハ104の後には4輪客車ハフ15が連結されており、その後はキハ603「かじか」と思われます。キハ104は機械式気動車、キハ603はトルコン付ですので、双方に運転士が乗っていて、加速はそれぞれの運転手が操作し、ブレーキは貫通エアーブレーキをキハ104の運転手が操作していた?  もしくは、キハ603はクラッチを切っておき、力行はキハ104のみが行っていた? 多分、後者ではないかと思いますが、実際はどのようにしていたのでしょうか?

 

青の洞門付近               洞門      1964-5-3 

 

当線の最大の見どころ、青の洞門の横を山国川に沿ってすり抜けました。キハ601の後部窓から写しましたので、そのバス窓の影が映っています。

 

上りDC列車、キハ105「せせらぎ」         耶鉄柿坂      1964-5-3 

 

耶鉄柿坂では、キハ105がやってきました。国鉄筑肥線の前身、北九州鉄道が1936年(昭和11年)に作った流線型機械式ディーゼルカー、ジハ61で、国鉄に買収されたものを1951年(昭和26年)に譲り受けたものです。 国東線のキハ50(元北九州鉄道ジハ51)より、車長17.4mと若干大型です。

 

上りDC列車、キハ105「せせらぎ」 (後部)        耶鉄柿坂      1964-5-3 

 

 博多ー唐津間の福岡近郊私鉄の北九州鉄道が初めからディーゼルカーとして製作し、外観も同時期に作られた国鉄のガソリンカー、キハ42000形に似ていますが、前面に傾斜をもたせた流線型とした画期的な車であったようです。1937年(昭和12年)に国鉄に買収された後、ガソリンカーに改造され、遠く、志布志線で使われ、休車になっていたものを大分交通が譲り受けたようです。

 耶馬溪線の写真はここで終わっており、次のコマには湯布院駅でのDC準急「はんだ」「由布」があります。入場券が残っておりますので、終点、守実温泉まで行ったのは確かのよですが、残念ながら写真はありません。どうしたのでしょう??

 

 中津ですこし、撮っており、別行動の友人宮さんの撮った画像と共に、蒸気機関車と客車をご覧頂きましょう?

 

蒸気機関車 1444   中津    1964-5-3                蒸気機関車 3   中津    1964-5-3 

 

 1444は未だ現役のようでした。旧九州鉄道のドイツ、クラウス社製のC形機関車1440形で、戦後、国鉄から譲受したものです。3は同じ系統の1400形ですが、既に廃車になっていました。

 

片ボギー半鋼製客車 ハフ13   中津    1964-5-3              4輪半鋼製客車 ハフ14   中津    1964-5-3

 

 ディーゼルカーの付随車として、昭和初期の作ったガソリンカーを客車化したもので、ハフ13は片ボギー車でした。

 

 

4輪木造客車 ハフ23   中津    1964-5-3              4輪木造客車 ハニフ24   中津    1964-5-3

 

1929年(昭和4年)の762mmゲージから1067mmに改軌したとき、鉄道省から譲り受けた旧九州鉄道の4輪木造車です。

 

木造ボギー客車 ホハ3   中津 宮さん撮影   1964-5-4    木造ボギー客車 ホハ4   中津 宮さん撮影   1964-5-4             

 

  同じく、1929年(昭和4年)の762mmゲージから1067mmに改軌したとき、鉄道省から譲り受けた旧山陽鉄道の木造ボギー車です。 訪れた当時でも山陽鉄道の客車は殆ど、残っておらず、珍しい存在のようでした。

 

 耶馬溪線は大分交通鉄道線の中で、最も長く持ちこたえていましたが、1975年(昭和50年)10月に全線廃止になってしまいました。

 

  参考文献

  鉄道ピクトリアル1967年7月号臨時増刊 通巻199号、私鉄車両めぐり、第8分冊 大分交通耶馬溪線 

 

大分交通耶馬渓線廃線跡の探索は

 「歩鉄の達人」「廃線探索 大分交通耶馬渓線」

をご覧頂きたいと思います。

 

(2007-6-27)

(2011-1-17)訂
(2016-11-4)タイトル改訂


 


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