三重のTMさんから名鉄パノラマカーの廃車が急速に進むというニュースを頂きました。 今年7月には大幅に減り、来年、2009年の早いうちに、全車が姿を消す事もあるとのことです。
運転台を2階に上げ、最前面まで展望室を設けたパノラマカーモ7000形はイタリアの往年の欧州国際特急TEE「セッテベッロ」を模したもののようですが、日本ではもちろん最初の画期的なものでした。1961年(昭和36年)6月から名古屋本線の特急として運転されると聞き、
友人と出かけました。東京から夜行列車で、豊橋に行き、名鉄名古屋本線にパノラマカーの姿を求めました。幸運な事に、伊奈駅で試運転中のモ7000形に遭遇しました。スカーレットのボディに運転台を2階に乗せた前面展望室を備えた電車は想像を超える斬新なものでした。踏切事故などのとき、乗客を保護するダンパーが2台、ヘッドライトと一体になって、窓下中央には「PHOENIX」のエンブレムが付いていました。
名古屋の「M.・O」様のご指摘により、上から3枚目と5枚目の写真の撮影場所を訂正致しました。(2014−1−8)
試運転中の7000系パノラマカー 伊奈 1961-7-9
パノラマカー営業運転開始にあたり、パノラマカーの写真が載っているしおりが配られていました。名鉄の意気込みが感じられました。
横186mmX縦186mmで、下の説明の部分を折り、パノラマカーの写真だけになります。裏面にはモ7000型の要目、展望室、運転台などの写真が載っていました。上のしおりをクリックしましと、拡大したしおりの表、裏がご覧になれます。
この他、「デラックス特急 新造車御案内」という小さなパンフレットも配られていましたが、これも、ご覧頂けます。
特急岐阜行 7500系パノラマカー 豊橋 1983−7
名古屋近辺には頻繁に出張し、パノラマカーにも数え切れない程乗りましたが、写真は殆ど撮っておりませんでした。
これは、7000系の2年後に登場した7500系です。7000系は展望室のみ少し低くなっていましたが、7500系は全て、展望室と同じく、低くなっていました。このため、運転室が一段ととびだしていました。パノラマカーの顔は逆富士形の方向板を設けた為、「PHOENIX」のエンブレムも取り外されました。 又、運転室の下にフロントアイが 取り付けられました。これは車両直前の死角を運転席で見れるようにしたもので、広角凸レンズで構成されているとのことです。支線区等では停止位置の直前が構内踏切という駅もあり、安全確認する必要があったようです。運転席からフロントアイを覗くと天地逆に見えるとのことです。
豊橋行座席指定特急 7000系パノラマカー 神宮前 1983−7
岐阜行座席指定特急 7000系パノラマカー 知立 1983−7
7000系で白帯を巻いた座席指定特急仕様車が1983年(昭和58年)には走っていました。4両編成で途中駅での併合・解結に備えて、連結器とエァーホース、電気ジャンパーが装備され、精悍な感じも致しました。
新鵜沼経由岐阜行急行 7000系パノラマカー 犬山 2007-4-13
昨年4月に犬山線急行のパノラマカーに乗りましたが、その斬新な容姿は47年前から大きく変わっていませんでした。廃車が間近な電車とはとても思えません。しかし、ラッシュ時の客扱いには不便で、最近のインバータ車に比べ、消費電力が多く、保守にも手がかり、車体の老朽化も進んでいることでしょう。
これから、パノラマカーフィーバーが起こり、多くの人がその姿に接するために行かれると思います。
老ファンは営業開始時の姿としおりで、このような画期的な電車を47年前に走らせた名鉄さんに敬意を払い、静かに見送りたいとおもいます。
TM (TERUTERU MAEDA)さんにはいろいろ教えて頂きました。ありがとうございました。
TERUTERU MAEDAさんのホームページ”まえだやしき”を紹介させて頂きます。パノラマカーの写真がたくさん載っております。
下記をクリックしてご覧願います。(立ち上がると同時に汽笛がなります!吃驚しないで下さい。)
名古屋の「M.O」様のご指摘により、上から3枚目、五枚目の撮影場所を訂正致しました。ありがとう御座いました。(2014−1−8) (2008-5-17)
(2014-1-8)更新