50年前の東京の鉄道ファンは関西の電車に憧憬を持っておりました。東京の私鉄は山手線と郊外の街を結ぶ郊外電車で、編成も短く、余り速くもありませんでした。関西では、国鉄に負けない私鉄高速電車が京阪神などの都市間を疾走しておりました。前年、工科系単科大学で、鉄道研究部を立ち上げた仲間とともに、1958年(昭和33年)の夏休みに関西の電車を訪れました。近鉄、阪急、阪神、京阪などの特急電車に魅了されましたが、京都のユニークな電車もちょっと撮っておりました。関東の鉄道ファンの初めての京都でした。旅日記のようなページには少し載せましたが、改めて、翌1959年(昭和34年)7月に再訪した時の写真も含めて、ご覧頂きたいと思います。カラーフィルムは当時とても高価で、貧乏学生には手が出ませんでしたので、モノクロ写真のみではありますが!

京都市電

四条西洞院


N電N1形、22、10系統、京都駅前を追いかける600形、21系統、銀閣寺道行   四条西洞院    1958-7-13

 京都市電堀川線(北野線)は京都電気鉄道が明治期に建設し、1918年(大正7年)に京都市に買収されました。ゲージは狭軌1067mmでしたので、Narrow gage(狭軌)のNを車両形式に付したので、N電と言われていました。北野天満宮前の北野から中立売通、堀川通を経て、四条堀川から京都の目抜き通りの四条通りに入ります。次の四条西洞院で、右折して、西洞院通に入り、京都駅前に向いますが、四条堀川~四条西洞院間は1,435mmゲージと1,067mmゲージの3線区間になっておりました。古典的なオープンデッキのN電、10系統のN1形の後に21系統600形が迫って来ました。


N電N1形、2、10系統、北野行と 900形、928、7系統、東山七条行のすれ違い   四条西洞院    1958-7-13

 N1形は戦前に祖母に連れられて成田山に詣でたとき乘った成宗電車を思い出させました。この電車は成田山門前~京成成田駅~宗吾霊堂を結んでいた小さなローカル電車で、お金がないので、古い電車を使っていたようです。同じスタイルの電車が都大路を走っているとは思いませんでした。京都市電スタイルの完成形とも言われる900形と並ぶとN1形の古典スタイルが際立ちます。
 この写真の右下にN電、10系統が西洞院通に入るポイントがすこし写っております。架線もN電用は別のようです。架線電圧はDC600Vで同じはずですが、ビューゲル用とトロリーポール用ではトロリー線の形が違うのでしょうか?


500形、519、1系統、百万遍行              四条西洞院    1958-7-13

四条通りには、たくさんの系統の電車が走っておりましたので、当時の代表的な京都市電にお目に掛れました。
500形は大正末期から昭和初期にかけて作られた京都市電初めてのボギー車で、その時代の半鋼製電車の典型的なスタイルです。


700形、709、17系統、ぎおん行              四条西洞院    1958-7-13

 700形は訪れた年の3月にお目見えした全金属製軽量ボディのピカピカの新車でした。釣りかけ駆動でしたが、和製PCCと言われた大阪市電3000形などにに匹敵する電車で、京都市電のイメージに残る電車でした。1974年のワンマン化には軽量ボディの強度の問題で、中央扉の新設には対応できず、短命に終わったようです。


800形、810、1系統、千本今出川行    四条西洞院~四条烏丸     1958-7-13

 800形は1950~55年に登場した長さ12mの中型ボギー車で、当時の京都市電の中核をなしており、ワンマン化改造で1800形になり、1978年の全廃時まで、走り続けました。背後に祇園まつりの山鉾が見えます。


900形、919、1系統、千本今出川行    四条西洞院     1958-7-13

 900形は1955~57年にかけて作られた中型ボギー車で800形より窓一つ分長く、全面中央窓が広くなり、京都市電スタイルの完成形と評されております。ワンマン化改造で1900形となり、京都市電全廃後、広島電鉄に行き、ほぼ原形のまま、現在でも走り続けているようです。

北野


N1形、22、10系統、京都駅前行    北野     1958-7-13

 やはり、目玉はN電であったようです。北野天満宮の前の北野終点までやってまいりました。


N1形、22、10系統、京都駅前行   下ノ森~北野     1958-7-13

N電、22号は北野電停を出発し、中立売通を行きます。N電だけが走っている風景は、まるで、明治にタイムスリップしたように思われました。


N1形、10系統、10  北野行   下ノ森~北野     1958-7-13

しばらく進むと、商店や露店が立ち並んでいました。


N電の走る中立売通?   下ノ森~北野     1958-7-13

 下ノ森付近でしょうか?市場などが立ち並ぶ庶民的な街です

西洞院通


N1形、10系統、1  北野行   西洞院六条付近     1959-7-17


N1形、10系統、15  北野行   西洞院六条付近     1959-7-17

翌昭和34年7月に再び、京都を訪れたときは、京都らしい落ち着いた雰囲気の西洞院通を行くN電を写しました。この通りは線路が道路の西側に敷設されていました。

京福電鉄嵐山本線(嵐電)


京福電鉄嵐山本線 100形 101、四条大宮行    嵐山付近     1958-7-13

 N電、北野の近くの京福電鉄嵐山本線(嵐電)、北野支線の終点、北野白梅町から嵐電に乘りました。当時、100形(原型)の独壇場でした。嵐電らしい一枚だけご覧に入れましょう。

京阪電鉄京津線

 昭和34年7月には、京阪三条で、京津線の急行として走る有名な「びわこ」号に会うことが出来ました。


京阪電鉄京津線 60形「びわこ号」、62 急行石山寺行    京阪三条     1959-7-17


京阪電鉄京津線 60形「びわこ号」、61 急行石山寺行    京阪三条     1959-7-17

 1934年(昭和9年)に大阪と浜大津直通特急用として、本邦初の連接車で、流線型も国鉄モハ52に先駆けて採用した画期的な電車でした。運転台寄りに京阪本線の高床式ホーム対応の扉、連接面寄りに京津線低床ホーム用の扉がありました。集電装置も連接面の近くに本線用パンタグラフ、運転台寄りに京津線用トロリーポールを備えておりました。このころは既に本線直通運転は行わず、京阪三条~浜大津~石山寺の急行に使われていました。61,62、63の3編成ありましたが、61、62は1967年、1968年に廃車になり、63は1970年に廃車になった後、通産省の近代化産業遺産に指定され、寝屋川車庫で静態保存されているとのことです。


京阪電鉄京津線 260形」、261 急行石山寺行    京阪三条     1959-7-17

 260形は1957年から旧車の機器を利用して、生まれた貫通扉付、高床式電車で、車幅は狭いものの、本線の電車と同じスタイルをしておりました。急行専用でした。 

以上、東京の鉄道ファンの見た55年前の京都の印象に残る電車でした。

参考ウェッブサイト   

  ヴィキペデイア フリー百科事典 「京都市電」「京都市電堀川線」「京阪60型電車」
  京都市電営業路線図 http://www.geocities.jp/t_t_otoohan/siden1.html  
謝辞
  京都の高木 修雄様から撮影場所の同定とたくさんのご教示を頂きました。厚く御礼申し上げます。
  1959年の旅で同行した友人の西さんから撮影場所、月日の同定を頂きました。有難うございます。 
 

(2015-8-15)


(トップページ)(別館)
          (本館)