(リニューアル版)
戦前の1944年(昭和19年)に父の転勤で、当時の満州の安東(現在の丹東)に釜山経由で行きましたが、関釜連絡船に乗船する前に、下関の市内電車をちらっと見たのが、記憶の隅に残っておりました。1964年に九州、1965年のゴールデンウィークに中国、四国の鉄道を隈なく巡りましたが、下関の路面電車、山陽電気軌道(山陽電軌)だけ訪れることが適いませんでした。1969年(昭和44年)秋に一部廃止になると聞き、出張の合間に2回に訪れました。
このときの様子を既に、
として載せてありますが、ほぼ同時期に訪れたものが、2つに分けられており、画像も小さいので、
(リニューアル版)を作りました。
市内線 幡生行801と長関線長府行603 下関駅 1969-10
折り返し長関線 長府駅行になる603 と下関駅 下関駅 1969-10
下関駅前にはスマートな電車が待っておりました。601系は1954年(昭和29年)汽車会社製、半鋼製ボギー車。張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダー、大きな2段側面窓、2段になった前面中央窓。軽快なスタイルの電車でした。5両ありました。
山陽電軌路線図 1969-3
下関駅~唐戸~長府駅間の長関線11.72km、唐戸~幡生の市内線4.49km、下関駅~彦島口の大和町線1.37kmがありましたが、訪れたときは大和町線は平日朝夕だけの運転になっておりました。ゲージ1,067mm、架線電圧DC600Vでした。市内線は下関駅~唐戸~幡生間を運行しておりました。長関線の唐戸~長府間が1969年10月30日に廃止されるとのことで、3月に訪れました。このときはあまり時間もなかったようで、赤間神宮までしか、足を延ばせませんでした。廃止間際の10月に当時高価であったカラーフィルムを求め、長関線のハイライト、関門海峡に沿って走る姿を撮りに行きました。
701系 701 市内線 下関駅行 下関駅~茶山口 1969-10
701系は1958年(昭和33年)、ナニワ工機製。ほぼ全鋼製ボギー車、張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダー、大きな窓と601系とほぼ同じスタイルでした。4両作られました。翌1959年に同じ設計で、801系が5両作られました。1962年(昭和37年)に三重交通神都線から譲受した531、532の台車や主要機器を使って801系と同じボディーの811、812がナニワ工機で作られました。
501系 502 市内線 下関駅行 1969-3
501系501、502は1947年(昭和22年)に日本鉄道自動車で製作された半鋼製ボギー車。設計は戦前の1940年で、同年に作られた301系も同じスタイルであったとのことです。張り上げ屋根で同年代の電車としては洗練されています。この他、三重交通神都線から移籍した511-515も居たようですが、見かけませんでした。訪れたころはほぼ、600系、700系、800系で運転されていたようです。
唐戸から市内線は山側に分岐します。
600系 605 市内線 東駅行 1969-3
800系 801 市内線 幡生行 1969-3
東駅(東下関駅)からは専用線に入ります。東下関~幡生~小串間の長州鉄道を併合しましたが、幡生~小串間は国に買収され、山陰本線の一部になりました。唐戸~東駅間を複線併用軌道で建設し、東駅から、元長州鉄道の専用線に接続し、市内線になりました。
専用線と車庫
車庫を過ぎると単線になりました。
801系 801 市内線 下関駅行 幡生 1969-3
市内線の終点幡生は専用線単線のやや寂しい停留所でした。
長関線(唐戸~長府駅)
701系 702 長関線 長府駅行 赤間神宮前 1969-10
長関線は関門海峡に沿って走ります。ここは源平合戦、平家の滅亡の地、壇之浦です。まず、安徳天皇を奉った赤間神宮の前を走ります。
801系 805 長関線長府駅行 御裳川 1969-10
壇之浦の電停を過ぎ、壇之浦古戦場近くの、御裳川(みもすそがわ)に来ました。 ここは火の山ロープウェイに近く、関門トンネル人道入口も近くにあります。
これから、しばらく、関門海峡に沿って走ります。
601系 長関線 下関駅行 前田~御裳川 1969-10
バックに見えるのは旧下関水族館と思われます。巨大なクジラが丘の上を泳いでいます。このクジラは今でも健在ですが、国道9号線に沿っていた海岸は訪れた4年後に埋め立てられてしまいました。
601系 603 長関線 下関駅行 外浦 1969-10
801系 804 長関線 長府駅行 外浦 1969-10
601系 603 長関線 下関駅行 長府駅終点 1969-10
長関線の終点、長府駅も専用線になっておりましたが、上屋のある立派なホームがありました。
長関線、唐戸~長府間、大和町線は1969年(昭和44年)10月30日、市内線として、運行していた下関~唐戸~幡生間も1971年(昭和46年)2月7日に廃止になって仕舞いました。洗練された軽快な電車が関門海峡に沿って走っていた山陽電軌は既に記憶の彼方に去ってしまったようです。日本屈指の風光明媚な道路を走るスマートな路面電車の姿を少しですが、ご覧頂けたと思います。
謝辞
t.h様より、撮影場所の同定と沿線のインフォメーションを頂きました。おかげで、リニューアル版を作ることが出来ました。
深謝致します。
参考文献
鉄道ピクトリアル 1968年7月号臨時増刊、通巻212、私鉄車両めぐり第9分冊「山陽電気軌道」
参考ウェッブサイト
ウィキペデイア、フリー百科辞典 「山陽電気軌道」
(2017-6-25)
(2022-5-24)市内線画像追加)