スキャン済みの画像の中にこんな妙なものがありました。C57と8620が顔を突き合わせての重連のようです。
どうやら、8620の前にバック運転のC57154が連結され、貨物列車を牽引しているようです。
C57154+8620重連で牽引の上り貨物列車 佐世保ー日宇
C57175 がバック運転で、貨物列車を牽いてきました。C56のように炭水車に切り欠きがなかったので、運転は大変であったと思います。
C57175バックで牽引の下り貨物列車 佐世保ー日宇
これらは、何処で?いつ撮ったのか?はメモも無く、さっぱり分りませんでしたが、友人T.Sさんから
C57154、C57175は昭和38年4月1日付け配置表では、両機共「鳥栖機関区 所属」 で、その後共に「早岐機関区」に転属(昭和43年3月31日現在)
と教えて頂きました。旅客列車用のC57が貨物列車を牽引したのは最晩年期であると思いますので、「早岐機関区」に転属の後であったと思います。
1971年(昭和46年)に佐世保に出張したことを思い出しました。通常、業務出張では鉄道写真を撮る時間はありません 。しかし、このときは往復特急「さくら」に乗り、佐世保11時48分着でしたので 、到着後、すこし時間を貰い、撮ったようです。
その頃は出張に飛行機は使えなかったので、時間があったのでしょう。今なら、長崎空港に飛び、日帰りですね。
C57のような大型テンダー機がバックで本線運転を行うのは珍しいと思いましたが、佐世保線と大村線
佐世保の街は山に囲まれており、佐世保駅は港の近くにありましたので、佐世保駅から早岐方面は登り坂になっており、そこで写したのだとおもいます。
C57154と8620の重連で牽いている列車は早岐方面に向かう上り貨物列車と思います。
C57175は佐世保行下り貨物列車牽引のようです。
C57154牽引の下り旅客1423列車、佐世保行 佐世保ー日宇
C57154は早岐で切り離されたようで、下り旅客1423列車、佐世保行を牽引し、戻ってきました。この頃は旅客列車の殆どは気動車で運転され、蒸気機関車牽引はごく僅かになっていました。 門デフ[門司鉄道管理局形デフレクタ(除煙板)]をかざしたC57は精悍でなにか、ドイツの機関車を思わせます。
1423列車は佐世保15時29分着、そして、15時54分発上り442列車鳥栖行として、折り返したようですが、この列車は撮っていません。やはり、バック運転 であったのでしょう。
キハ55を先頭とした気動車列車 佐世保ー日宇
殆どの列車が気動車化されていました。この列車は気動車急行でしょうか?
8620(48676)牽引の貨物列車 佐世保駅
佐世保駅には8620、48676が先頭の貨物列車がとまっていました。8620は1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)に掛けて製作された初めての国産量産形機関車で、1937年(昭和12年)から戦後に掛けて製造されたC57に比べ、世代の違う古いものであ りましたが、使いやすかったようで、この時代でも各地で活躍していました。1C形で、旅客列車用のイメージがありましたが、佐世保線では貨物列車に使われていたようです。
島原鉄道のキハ55を先頭にした気動車列車 佐世保駅
島原鉄道のキハ55を連結した気動車列車が佐世保駅に入ってきました。島原鉄道が国鉄形気動車を製作して、長崎まで国鉄線に乗り入れていましたが、佐世保まで、来ているとは思いませんでした。
1965年(昭和40年)9月に鹿児島本線の熊本まで電化され、余剰になったC57が佐世保線で8620と共に最後の奮闘をしている姿をほんの少しですが、ご覧頂きました。
1976年(昭和51年)6月に佐世保線は電化されましたので、その姿はそれから5年後には完全に過去のものになってしまいました。
謝辞;このページの作成にあたり、友人のT.Mさんから貴重な情報とアドバイスを頂きましたので、感謝の意を表したいと思います。
(2008-2-15)
(2016-11-5)タイトル更新