フォルダに謎の電車の写真の画像ファイルがありました。大学で鉄研に入り、鉄道ファンとして、物心が付き始めたころ、鉄研立ち上げの中心になった畏友宮さんと写真部のモデル撮影会に参加するため、ユネスコ村に行きました。そのとき、西武多摩湖線に乗り、少し、撮ったようです。
1957年(昭和32年)7月のことと思います。
多摩湖線(国分寺〜多摩湖、8.8q)は国分寺駅のホームの有効長などの制約から、小型車、2連しか入れず、孤立した路線であったので、他の路線が架線電圧DC1500Vに昇圧したときもDC600Vのままでした。
車両は木造で2軸単車もあり、老朽化が進んでいたので、前身の旧多摩湖鉄道からの引き継ぎの電車や西武軌道線(後の都電杉並線)からの転属のものを種車にして、小型半鋼製ボギー電動車モハ101形を昭和24年から作りました。
車長11.4mの小型車で、41kW電動機2台搭載。ダイレクトコントローラ。制御車には気動車改造のクハ1101、1121、1122、車体新製の1114,1115があり、制御車にもダイレクトコントローラと抵抗を備え、制御車が先頭の時はこのコントローラで運転しました。
1961年(昭和36年)のDC1500V昇圧時にはこれらの電車は姿を消しました。
武蔵大和〜多摩湖間で少し撮りました。
製造当初はトロリーポールでしたが、後に、パンタグラフになりました。小型ですが、戦後の郊外電車のスタイルです。制御車には2扉と3扉がありましたが、種車の違いにあると思われます。
終点、多摩湖駅です。
1961年(昭和36年)に架線電圧DC1500Vに昇圧するとともに、この駅は0.4km伸延し、西武園ゆうえんちの隣接地に移動しました。
当時、多摩湖線を走っていた電車を地方ローカル私鉄に譲渡したものも、かなりありました。その中で、羽後交通雄勝線デハ7を宮さんがカラーで撮っていました。クハ1121を電装し、改造したものでした。
羽後交通雄勝線 デハ7 湯沢 宮さん撮影 1964-5-1
参考、ウェッブサイト
(2022-3-18)