1963年(昭和38年)のゴールデンウィークに鉄道ファンの友人と東北の鉄道を訪ねました。社会人になってから2年目ですので、懐具合も日程にもあまり余裕はありません。駆け足で、東北の私鉄 や国鉄を撮ったような感じでした。
4月27日夜、上野を臨時急行「あぶくま」で発ち、夜明け前の仙台で普通列車に乗りかえ、早朝の瀬峰駅に着きました。
762mmゲージ軽便鉄道としては大きな仙北鉄道のホームが国鉄線に沿ってありました。
連絡跨線橋よりの仙北鉄道瀬峰駅ホーム 1963-4-28
1067mmの国鉄線の線路に比べ、か細い線路の上に小さな気動車がマッチ箱のような客車を従え、登米から着きました。
仙北鉄道は 北上川の水運の町登米と東北本線瀬峰を28.6kmを1時間5分程で結ぶ路線です。
仙北鉄道、瀬峰駅ホーム 1963-4-28
仙北鉄道のホームに上がるとまもなく、キハ2404が客車2両を牽いた登米行きが入ってきました。
キハ2404 登米行 瀬峰 1963-4-28
早速、この列車に乗って、登米に向かいました。
車内補充券
乗車券
車内で、登米まで、乗車券を求めました。運賃は130円でした。車内補充券には、瀬峰ー登米間以外に瀬峰ー築館間のバス路線も載っていました。仙北鉄道は1921年(大正10年)10月に瀬峰ー登米間の登米線が全通しましたが、1923年(大正12年)7月には瀬峰から東北本線の西側に築館まで築館 線を開通させました。しかし、築館線は台風の被害に度々遭い、ついに1950年(昭和25年)3月に廃止になり、バスに転換されたものでした。
登米駅構内 1963-4-28
約1時間かけて、終点、登米に着きました。登米駅は軽便の終着駅とは思えない広大な構内を持っていました。本屋も木造でしたが、立派なものでした。
登米駅 1963-4-28
列車は気動車で運転され、時により、客車を1−2両牽引していました。瀬峰ー登米間に12本の旅客列車が設定されていました。
登米から折り返しの列車で瀬峰に帰りましたが、その往復で、気動車の顔ぶれを見ることが出来ました。
キハ2405 高石 1963-4-28
キハ2405+客車2両牽引 米谷 1963-4-28
キハ2406 高石 1963-4-28
キハ2402 瀬峰 1963-4-28 キハ2404 登米 1963-4-28
気動車は全部で5両いました。
キハ2401、2402は1934年(昭和9年)に日車で作られた半鋼製ボギー、ガソリンカーです。両端に軽便ガソリンカーに良く見られる荷物台がついています。1D7D1の窓配置、全長10.6mです。
キハ2404は1935年(昭和10年)に同じく日車で作られた半鋼製ボギー、ガソリンカーです。キハ2401,2と同じようなスタイルですが、1D8D2の窓配置で、全長11.6mと少し大きく、荷物台は片方のみです。この荷物台に金太郎の腹掛けの塗り分けが施されれ居ました。
キハ2405は1941年(昭和16年)新潟鉄工製、窓配置、全長もキハ2404とほぼ同じ半鋼製ボギー、ガソリンカーです。
荷物台はありません。
これらは、戦後、ディーゼル化されました。
キハ2406は1955年(昭和30年)東急車輛製の半鋼製ディーゼルカーです。dD151D1*の窓配置で全長13.4mと他の車より大きくなりました。2段の窓の上側はHゴムで固定されている当時のディゼルカーと同じ窓を採用し、室内はセミクロスシートでした。塗色もスカ色になり、この車導入により、他の車もスカ色に変更したとのことです。(*ドアに接している客室窓は幅が狭く、一方のみに乗務員扉 (d)がありました。他方には小さな乗務員用窓のみ)
キハ2406を増備した時代がこの鉄道の戦後の最盛期だったようです。
瀬峰に車庫、工場がありました。列車の編成作業が行われていましたが、客車は人力で移動することもあるようでした。
人の手で押されるハフ1406 瀬峰 1963-4-28
入れ替え中のニフ1405 瀬峰 1963-4-28
気動車に連結する客車は10両在籍していましたが、1921年(大正10年)に作られた木造ボギー車が殆どでした。全長9m以下の小さな車で、軽便鉄道の客車そのものでした。
2,3等合造車を貨物室付3等車の改造したハニフ1402、3等車ハニフ1406、3等車から改造された荷物車ニフ1405を瀬峰で見ることが出来ました。
ハフ1406+ハニフ1402 瀬峰 1963-4-28 ニフ1405 瀬峰 963-4-28
ディーゼル機関車、貨車もあり、貨物列車も運転されていたようですが、限られた時間では、見ることが出来ませんでした。
仙北鉄道はこの1年後の1964年(昭和39年)5月に宮城バスと合併、1968年(昭和43年)3月には全線廃止になりました。近代化、大型化されたバスには速度でも、輸送力においても劣る軽便鉄道は太刀打ちできず、他の軽便鉄道と 同じ運命を辿ったようです。
地元のHKさまから写真の撮影場所の同定をして頂きましたので、写真タイトルに太字で追加させて頂きました。
ご指摘、ご連絡本当に有難うございました。
参考文献
鉄道ピクトリアル、通巻134号 1966年7月 臨時増刊 私鉄車両めぐり第7分冊 「仙北鉄道」
(2005-12-5)
(2016-11-5)タイトル更新
軽便鉄道シリーズ
狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)
(610mmゲージ)