島原鉄道(1964年)

 島原半島は雲仙岳の火山活動で出来たのでしょうか?有明海の真ん中にあり、それが、諫早で九州本土とつながっています。島原鉄道はその東岸を辿り、長崎本線諫早駅から島原を通り、 南岸の加津左まで、半周する78.5kmの非電化、ゲージ1067mmの鉄道で、明治44年に開通した古い歴史を有していました。

 戦後は国鉄形の気動車を導入して、長崎本線への直通運転を実現しており、他の私鉄と雰囲気が違っていました。

で、4月27日、荒尾市電を撮った後、鳥栖、諫早からバスで雲仙経由島原 にたどりつき、泊りました。翌28日は早速、島原鉄道の南島原駅に行きました。ここには南島原機関区があり、戦前からの古い車両が留置してありました。

 

ホハ38      南島原駅   1964-4-28

 

 南島原駅の側線には、丸屋根、広窓の私鉄としては大形のボギー客車が留置されていました。昭和3年(1928年)、日車で新製されたものとのことです。でも、訪れた時は既に殆どの列車が気動車で運転されていましたので、予備車的存在であったのでしょう。

           ユニ102       南島原機関区   1964-4-28          ニ107       南島原機関区   1964-4-28

 

 昭和9年から12年にかけて日車で製造されたガソリンカー、キハニ100形は各地の私鉄に存在する前面2枚窓のスタイルで、戦後しばらく活躍しましたたが、小型の為、輸送需要に追いつけず、廃車になりました 。その内の2両が、エンジンを取り外され、郵便貨物車ユニ102、荷物車二107として残っていました。

 

           キハ252       南島原機関区   1964-4-28          ホハフ29       南島原機関区   1964-4-28

 

 キハ250形キハ252は元中国鉄道のガソリンカーを国鉄買収後、廃車になったのを購入し、ディーゼルカーに改造したものですが、既に、予備車的存在になっていました。

 ホハフ29は大正10年に製作された木造ボギー客車で、丸屋根、広窓に改造され、木造車とは思えない大形ボギー客車でした。ホハ38と連結、留置されており、予備車的な存在であったようです。 

 

             C1203       南島原機関区   1964-4-28        C1206       南島原機関区   1964-4-28

 

 戦後の昭和23年、24年にC12を5台、日車で製造しました。私鉄で戦後、国鉄制式蒸気機関車を新製したのは珍しく、最後のものではなかったのでしょうか。 国鉄形気動車の導入前は少なくともラッシュ時にはホハ38やホハフ29を牽引して、活躍していたのだと思いますが、訪れた時、南島原機関区にはC1203とC1206だけがおり、C1203のみに火が入っておりました。貨物列車を牽引するのでしょう。C1206はデフレクタ付でした。

 

朝のラッシュ時の列車(先頭キハ2003) 島原  1964-4-28

 

朝のラッシュ時の列車も気動車運転になっていました。先頭は国鉄キハ20とほぼ同じ、キハ20形、キハ2003です。島鉄のキハ20形は昭和33年(1958年)に作られました。

 

キハ4502  古部   1964-4-28

 

 キハ4500形は昭和28年(1953年)に液体変速機付、20mの大形気動車で、同じ年に作られた国鉄キハ4500 0形(キハ17形)と同等なようですが、正面は湘南電車タイプ2枚窓になっていました。

 古部駅は有明海の海際にありました。

 

キハ5502     1964-4-28

 

 国鉄準急形気動車キハ55形を両運化したキハ55形が昭和35年(1960年)から作られました。長崎本線乗り入れの為、 2機関装備としたようです。後に、1機関形のキハ26形も作られました。

 キハ4500形ー4両、キハ20形ー3両、キハ55形ー5両、キハ26形ー3両と液体変速機付国鉄形気動車を合計15両所有しており、全列車をこれで運転できるようになっていました。

 塗色、車内のデティールは異なっていましたが、国鉄形気動車で全て運転されるということは、鉄道ファンとしては面白みがありませんでしたが、部品の調達など、メンテ上は大変メリットがあったのでは無いでしょうか? 東京の私鉄の多くがJR東の231系をベースにした電車 を新製するようになりましたが、島鉄は40年前にこれを先取りしたようにも思われます。

 

島鉄キハ5505を先頭に付けた319Dレ 諫早     1964-4-28

 

 島鉄のキハ5505を諫早で併結した鳥栖発長崎行319Dレです。

 

京都行特急「かもめ」2Dレ通過 大草? 1964-4-28

 

 長崎に向かう途中、82系気動車特急「かもめ」と交換しました。

 

大草?出発の島鉄キハ5505を先頭に付けた319Dレ  1964-4-28

 

 特急「かもめ」と交換の後、長崎に向かうキハ5505を先頭とした319Dレです。

 

  島原鉄道は78kmもの長い路線を今迄、維持してきましたが、乗客の減少で、島原から先が廃止になるようです。

昭和30年代の島鉄は自社 発注の国鉄形気動車が活躍した最盛期を迎えていたようでした。

 

  参考文献

  鉄道ピクトリアル1965年1、2、4月号 通巻166,167,169号、私鉄車両めぐり[64] 島原鉄道 

 

(2007-2-26)


 


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