D50、D51は本来貨物用の機関車ですので、脚光を浴びることはほとんどなかったのですが、急勾配の続く本線区では、急行列車も含む旅客列車や長大貨物を牽き、頑張っておりました。信越本線、高崎〜横川間、軽井沢〜直江津間はその代表的なものでした。既に、

田口〜吉田(現北長野)間

 

を載せておりますが、1963年(昭和38年)の軽井沢〜長野間電化前後の田口(現妙高高原)から軽井沢の手前の御代田あたり迄のD51の奮闘する姿をさらにご覧頂きましょう。

 

  25パーミルを妙高山麓に向かって登る補機付貨物列車その1   豊野ー牟礼間     (1961-3)

         

  25パーミルを妙高山麓に向かって登る補機付貨物列車その2 豊野ー牟礼間 (1961-3)

 

  後補機D51を自動解結、補機D51は豊野に戻って行く 豊野ー牟礼間 (1961-3)

 

  豊野に戻って行く補機D51のクローズアップ 豊野ー牟礼間 (1961-3)

 

  旅客列車は補機無しで頑張ります   豊野ー牟礼間     (1961-3)

 

  サミット田口駅に到着のD51 405牽引下り旅客列車       (1963-7)

 

  豊野からは善光寺平を走ります。D50牽引上り旅客列車  吉田(現北長野)〜豊野 (1963-7)

 

  D51 335牽引下り旅客列車  吉田(現北長野)     (1963-7)

 

  千曲川の河岸段丘を走る上り旅客列車 小諸〜滋野 (1961-7)

 

  千曲川の河岸段丘を走る下り旅客列車 小諸〜滋野 (1961-7)

 

  初期半流形D51(ニックネーム、なめくじ)牽引下り貨物列車 小諸〜滋野 (1961-7)

 

この踏切は旧北国街道とのことです。未舗装で、警報器もない踏切が旧街道とは思えません。

 

  「第一北国街道踏切」にさしかかるオリジナル色169系電車 小諸〜滋野 てっこ様撮影 (2011-2)

 

 現在の北国街道踏切を行くオリジナル色169系電車の写真を地元ご在住のてっこ様より頂きましたので、掲載させて頂きました。「しなの鉄道」になりましたが、急行「信洲」「志賀」が活躍していた往年の信越本線を彷彿とさせてくれます。

 

  D51 95牽引下り旅客列車と上りホームで列車を待つ乗客たち 小諸 (1961-7)

 

    長工デフ付半流形D51 95 小諸 (1961-7)

 

    半流形D51 96 平原〜御代田 (1961-7)

 

    電化工事が進むスイッチバック駅御代田に進入するD51 782 (1962-7)

 

    EF62(EF62 18)もお目見えしました  上田 (1963-7)

 

 信越線も1966年(昭和41年)10月には直江津まで、電化が完成し、D51の姿は見られなくなりました。最後のD51の活躍をご覧願いました。

 

謝辞

 地元ご在住のてっこ様より、現在の北国街道踏切を行く169系の画像を頂きました。

 ありがとうございます。

(2011-2-28)
(2016-11-5)タイトル更新


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