【リニューアル版】

 東海道本線の藤枝から袋井に向って、海辺に沿って静岡鉄道駿遠線が走っておりました。762mmゲージですが、営業距離60.7kmと本邦最大の軽便鉄道でした。海沿いの町の足の便をはかるもので、藤枝、袋井の双方から延びた線路が戦後の昭和23年に結合し、この巨大軽便鉄道が形作られました。しかし、昭和30年代になると大型バスに軽便鉄道は速度、輸送力共に敵わなくなりました。東海道線普通列車で1時間弱の藤枝ー袋井間を駿遠線では3時間弱かかりました。昭和39年(1964年)9月27日に中間の堀野新田ー新三俣間が廃止されました。その後、次々に廃止され、最後に残った新藤枝ー大井川間6.3kmも昭和45年(1970年)8月1日に廃止になり、完全に姿を消してしまいました。

 駿遠線には2回訪れました。

 初めは昭和39年(1964年)7月4日で、全線運転が終わりになる二ヶ月前でした。上の車内乗車券はその時のものです。まだ、新藤枝ー大手間の藤枝市内の路線もありました。

 2回目は昭和45年(1970年)1月17日で、全廃される半年前でした。

 1回目は全線乗り通しましたが、正に通り抜けで、あまり、写真もじっくり撮りませんでした。 2回目は大学の鉄道研究会OBの新年会の後、車に分乗して行ったもので、多くは撮れませんでした。しかし、在りし日の駿遠線の姿をすこしはご覧頂けるのではないかと思います。

新藤枝駅

 

 昭和39年のときは準急「東海2号」で藤枝駅に11時3分に到着しました。直ぐ、駅横の駿遠線、新藤枝駅に急ぎました。多分11時25分発であったと思います。 キハD14が客車2両を従えた列車が発車を待っておりました。

 

出発を待つ下り列車       新藤枝   昭和39年7月4日

 

なんと、ホームの無い線から発車します。高校生でいっぱいっです。多分、期末試験でこのように早い下校なのでしょう。

 キハD14は湘南電車型の2枚窓の気動車で、5年前の昭和34年に自社工場で作った新型で、バスとの競争の切り札として登場したもののようです。キハD20まで、7両も作られ、 一部は最後まで、活躍したようです。他の軽便鉄道にも同じような気動車が導入されていましたので、バスと対抗して、必死に生き残ろうという思いが伝わってくるようでした。 

 

留置されている客車と旧貨物ホーム   新藤枝   昭和39年7月4日

 

 貨物輸送は5年前に廃止されましたが、その旧貨物ホームに客車が留置されていました。

 

   新藤枝駅構内          昭和45年1月17日

 

 昭和45年の新藤枝駅構内です。国鉄寄りの線路は取り外されておりました。

 

  DD501  新藤枝  昭和45年1月17日

 

 路線は短かくなりましたが、通勤輸送はそれなりにあったようで、ラッシュ対策として、昭和40年に出力188馬力、軸配置B-Bの軽便鉄道最大のディーゼル機関車DD501が自社工場で作られました。

 

  キハD18+ハ115  新藤枝  昭和45年1月17日

 

 キハD18+ハ115が2番線で発車を待っています。

 

  ハ115+キハD18  新藤枝ー高洲  昭和45年1月17日

 

 大井川駅に向かって、去って行きました。ハ115は旧草軽電鉄の客車です。

 

 キハD18+ハ115     新藤枝ー高洲  昭和45年1月17日

 

 新藤枝駅からほどなく、東海道本線をオーバークロスします。キハD18+ハ115が東海道線の上を走ってきます。 

 

 キハD18+ハ115     新藤枝ー高洲  昭和45年1月17日

 

 築堤を新藤枝に向うキハD18は金太郎塗り分けで、一寸、横須賀線のクハ76に似ているようにも見えます。軽便鉄道の最後を飾る車なのかもしれません。

 

大井川駅

 

 昭和45年に訪れた時は大井川駅が終点でした。かっては、ここから、大河大井川の河口近くにかかる約1kmの木橋(正確には橋桁は鉄製)を時速15km/hで渡っていました。

 

 キハD18        大井川   昭和45年1月17日

 

 大井川駅の下りホームに到着のキハD18です。このホームの反対側に着いている接続バスに乗り換えます。

 

 

 ハ12(廃車)とキハD18    大井川   昭和45年1月17日

 

 上りホームで発車を待つ新藤枝行きキハD18の横に廃車になったハ12がありました。

 

 キハD18    大井川ー上新田   昭和45年1月17日

 

富士山に向って走る新藤枝行キハD18です。

 


 

対向列車キハD8 上吉田  昭和39年7月4日

 

 昭和39年のときはもっぱら乗り通したようです。途中、2枚窓の上の全幅のひさしがある駿遠線のイメージにかなうキハD8に出会いました。

 

相良駅に進入   昭和39年7月4日

 

 大きな駅に進入しました。車庫などもあるようで、沿線最大の駅、相良駅です。

手前右では貨物貯蔵倉庫の跡に新車両工場の建設の基礎工事が行われておりました。(*地元のAAさんから頂きましたインフォメーションをベースにしております。)

袋井工場で製作をしていたDD501も最後の仕上げはこの工場で行われたようです。

 


 

新三俣駅

 

 14時30分に新三俣駅駅に到着しました。30分程の停車時間があったようです。

 

袋井側から見た新三俣駅構内   昭和39年7月4日

 

 向って右側に乗ってきたキハD14が停まっています。

左の上り線にはキハD19を先頭にディーゼル機関車(DL)、客車ハ107、そして、貨客合造車ハニ114が居りました。

キハD19とDLが重連で走ったのではなく、袋井からここまで、DLが客車を牽引してきて、ここからはキハD19に乗り替えになったのではないかと思います。

 

キハD19      新三俣   昭和39年7月4日

 

  キハD19はキハD14とほぼ同じスタイルですが、乗務員室扉があり、トルク・コンバータ式とのことです。

 

 

新藤枝側から見た新三俣駅構内   昭和39年7月4日

 

新藤枝側から眺めました。キハD14の後ろにはいつの間にか?小さな無蓋貨車が連結されておりました。

 

キハD14+トフ1      新三俣   昭和39年7月4日

 

 相良駅で新藤枝駅からの客車2両を解結し、2軸無蓋貨車トフ1を連結したものと思われます。トフ1は唯一つの無蓋貨車で、もっぱら、貯蔵設備のある相良駅から袋井方向からの折り返し列車の多い新三俣駅に気動車や機関車の燃料の軽油を運んでいたようです。

 

ドラム缶の積み下ろし作業   新三俣   昭和39年7月4日

 

 軽油が詰められているドラム缶を降ろしておりました。ホームに給油器もありました。

 

 

 保存用の切符を買う時間もあったようです。

 

新横須賀駅

 

対向列車キハD5+ハx2 新横須賀   昭和39年7月4日

 

 再び列車に乗り、袋井を目指しました。

新横須賀駅で、高校生を満載したキハD5を先頭にした上り列車と交換しました。キハD5は前に荷台をつけた戦前のガソリンカースタイルです。

 袋井駅の写真は残念ながらありません。ここから、急いで、東海道線列車に乗り継ぎ、金谷に廻り、大井川鉄道を訪れたようです。昭和39年当時は社会に出てから、3年目でした。貴重な休日により多くの鉄道が見たかったようです。

 

 以上、わずかに眺めた駿遠線の風景をご覧頂きました。

駿遠線を訪ねたのは、畏友「むーさん」からその素晴らしさを伝えて頂いたことが大きく、詳しくは駿遠線に傾注した力作

 

静岡鉄道駿遠線


 

 

をご覧頂きたく思います。

 

参考ウェッブサイト&図書

  

    

 

 中村 修著 「駿遠線物語〜巨大軽便の横顔〜」 夢現出版  

 阿形 昭著 「写真でつづる 静岡鉄道駿遠線」 静岡新聞社  

   

謝辞

  作成にあたり、「むーさん」に全面的にご協力頂きました。謝意を表したいと思います。

  *撮影場所の同定、相良駅の様子など貴重はインフォメーションを地元のAAさんから頂きました。

   深謝致します。

 

静岡鉄道駿遠線廃線跡の探索は

 「歩鉄の鉄人」「廃線探索 静岡鉄道駿遠線」

をご覧頂きたいと思います。

 

(2009-5-18)

(2011-1-17)訂
(2016-11-5)タイトル更新
(2021-9-17)リニューアル版リンク挿入


軽便鉄道シリーズ

 狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)

                                     (610mmゲージ)

 


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