東海道本線の藤枝から袋井に向って、海辺に沿って静岡鉄道駿遠線が走っておりました。762mmゲージですが、営業距離60.7kmと本邦最大の軽便鉄道でした。海沿いの町の足の便をはかるもので、藤枝、袋井の双方から延びた線路が戦後の昭和23年に結合し、この巨大軽便鉄道が形作られました。しかし、昭和30年代になると大型バスに軽便鉄道は速度、輸送力共に敵わなくなりました。東海道線普通列車で1時間弱の藤枝ー袋井間を駿遠線では3時間弱かかりました。昭和39年(1964年)9月27日に中間の堀野新田ー新三俣間が廃止されました。その後、次々に廃止され、最後に残った新藤枝ー大井川間6.3kmも昭和45年(1970年)8月1日に廃止になり、完全に姿を消してしまいました。その約半年前の昭和45年1月18日、鉄道ファンの会の箱根での新年会の翌日、車に分乗して訪れ、名残りを惜しみました。
上の車内乗車券は全線運転時のものです。
新藤枝駅構内 昭和45年1月18日
新藤枝駅構内です。国鉄寄りの線路は取り外されておりました。
DD501 新藤枝 昭和45年1月18日
昭和40年に自社工場で製作した出力188馬力、軸配置B-Bの軽便鉄道最大のディーゼル機関車DD501がおりました。高校の登下校時などの多客時に客車を牽いて走っていたのでしょう。
キハD18+ハ115 新藤枝 昭和45年1月18日
キハD18+ハ115が2番線で発車を待っています。
ハ115+キハD18 新藤枝ー高洲 昭和45年1月18日
大井川駅に向かって、去って行きました。ハ115は旧草軽電鉄の客車です。
キハD18+ハ115 新藤枝ー高洲 昭和45年1月18日
新藤枝駅からほどなく、東海道本線をオーバークロスします。キハD18+ハ115が東海道線の上を走ってきます。
キハD18+ハ115 新藤枝ー高洲 昭和45年1月18日
築堤を新藤枝に向うキハD18は金太郎塗り分けで、一寸、横須賀線のクハ76に似ているようにも見えます。軽便鉄道の最後を飾る車なのかもしれません。
大井川駅が終点でした。かっては、ここから、大河大井川の河口近くにかかる約1kmの木橋(正確には橋桁は鉄製)を時速15km/hで渡っていました。
キハD18 大井川 昭和45年1月18日
大井川駅の下りホームに到着のキハD18です。このホームの反対側に着いている接続バスに乗り換えます。
ハ12(廃車)とキハD18 大井川 昭和45年1月18日
上りホームで発車を待つ新藤枝行きキハD18の横に廃車になったハ12がありました。
キハD18 大井川ー上新田 昭和45年1月18日
富士山に向って走る新藤枝行キハD18です。
訪れたときは、専ら、キハD18が往復しており、これが、元草軽のハ115を牽いていることもありました。寂しくなりました!
以上、わずかに眺めた名残りの駿遠線の風景をご覧頂きました。
駿遠線を訪ねたのは、畏友「むーさん」からその素晴らしさを伝えて頂いたことが大きく、詳しくは駿遠線に傾注した力作
をご覧頂きたく思います。
参考ウェッブサイト&図書
謝辞
作成にあたり、「むーさん」に全面的にご協力頂きました。謝意を表したいと思います。
(2021-9-15)
軽便鉄道シリーズ
狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)
(610mmゲージ)