宇高連絡線が発着する宇野駅から玉野市営電気鉄道が出ていました。玉野市電とも呼ばれていましたが、鉄道線です。熊本県の荒尾市電と同じです。宇野〜玉遊園地前4.7kmと短い 路線で、1953年(昭和28年)に三井造船の専用線を利用して、開業しましたが、赤字続きで1972年(昭和47年)に廃止になってしまいました。短命であったのも荒尾市電に似ていました。しかし、玉〜玉遊園地前は白砂川の上を走りますので、川の上を走る電車として知られていました。架線電圧DC1500Vの電化路線でしたが、1964年(昭和39年)12月に経費削減のため、電車運転をやめ、気動車運転に転換されました。これは他に例のないことで話題になりました。
1965年のゴールデン・ウィークの中国、四国の鉄道訪問旅行の二日目、気動車運転を始めたばかりの玉野市電に乗りました。玉野辺りの海浜の宿に泊ったようで、白砂川の上を走る区間に直行し ました。
キハ101は三岐鉄道から国鉄41000形を譲り受けたものです。
白砂川の上を走るキハ101(その1) 玉遊園地前ー玉小学校前 1965-4-30
白砂川の上を走るキハ101(その2) 玉遊園地前ー玉小学校前 1965-4-30
白砂川の上を走るキハ101(その3) 玉 1965-4-30
キハ102は熊本の熊延鉄道から譲り受けたものです。キハ102、キハ103、キハ104の3両です。キハ102、3は熊延ヂハ101形で、1950年(昭和25年)に汽車会社で製作されたもので、比較的新しいものでした。熊延鉄道時代の姿を下のアイコンンをクリックして、ご覧下さい。
白砂川の上を走るキハ102 玉遊園地前ー玉小学校前 1965-4-30
終点、玉遊園地前駅のキハ102 1965-4-30
終点、玉遊園地前駅 1965-4-30
終点、玉遊園地駅はホーム1面の無人駅でした。
終点、玉遊園地前駅を発車するキハ102 1965-4-30
玉小学校前駅のキハ101 1965-4-30
玉小学校前駅に進入すとキハ101 1965-4-30
終点の一つ手前の玉小学校前駅付近は玉の街の中心のようで、白砂川を挟んで、情緒のある町並みが続いておりました。
玉駅 1965-4-30
宇野駅に戻るキハ101から沿線を眺めました。玉駅はこの線の主要駅で、有人のようでした。
大聖寺前駅 1965-4-30
丘の上の大聖寺は大きなお寺で、参詣者も多いようでした。
古塩浜信号所で列車交換のキハ102 1965-4-30
古塩浜信号所でキハ102と列車交換です。キハ102の玉遊園地前側には荷物台がありました。
古塩浜信号所出発のキハ102宇野行 1965-4-30
(この写真は宇野駅到着後、次の目的の下津井電鉄児島駅に向かう途中に撮ったものと思われます。)
宇野駅に進入 1965-4-30
キハ101は宇野駅に進入してゆきます。
玉野市営電鉄宇野駅 1965-4-30
宇野駅に到着しました。国鉄宇野駅ホームに隣接していましたが、小さな駅舎が独立してありました。
クハ201 1965-4-30 キハ104 1965-4-30
クハ201は和歌山の野上電鉄から譲り受けた制御車で、気動車化後も取り残されていました。
キハ104は熊延鉄道ジハ103と思われます。これは、1934年(昭和9年)製の島原鉄道の気動車が熊延に来たもので、車齢も古く余り、使われていないようでした。
この旅で、後に訪れた高松琴平電鉄琴平線の仏生山車庫にモハ100形が仮台車を履いて留置されていました。下のアイコンをクリックしてご覧願います。
以上、駆け歩きで見た気動車化まもない時期の玉野市電でした。
謝辞
「玉野市電保存会」のホームページを拝見し、沿線の様子をつかむことが出来ました。又、撮影場所などをご教示頂きました。
謝意を表したいと思います。
(2008-5-6)
(2016-11-6)タイトル更新