1968年(昭和43年)5月に東武沿線に移り住みました。これ以来、東武電車にはお世話になっておりますが、あまり、写真を撮っていないのです。これは、転居して、まもなく、春日部近辺の野田線、伊勢崎線をすこし、写したものです。

 

春日部駅の野田線、伊勢崎線の電車         春日部  1968−6

 

 

春日部駅の野田線のホームから伊勢崎線ホームを見たところです。構内は現在と大きく変わっておらず、野田線ホームを拡幅し、この写真の手前の側線が下り本線になった程度です。左は野田線下り柏行3000系です。真中は東武日光行急行「だいや」6000系です。右奥の伊勢崎線上りホームには東武の伝統的なスタイルの荷物列車がとまっています。

 

野田線

 

上り大宮行3000系    南桜井〜川間  1968−6

 

 

野田線、江戸川橋梁を渡る3000系上り大宮行です。この時代の東武電車はオレンジがかった赤と樺色の塗り分けでした。

 

上り大宮行3000系    南桜井〜川間  1968−6

 

 江戸川橋梁から南桜井駅に向かってすこし下ったところに旧武州川辺駅のホームがありました。武州川辺駅と南桜井駅を併合し、その中間点に新駅を作り、旧駅は廃止になりました。

  当時の野田線は32系などを車体更新した3000系が多くなっていましたが、まだ、古い電車も走っておりました。32系等の電動車をはさんで、両端に制御車をつないだ4両編成でした。2段上昇窓を持つ昭和中頃のスタイルで、東武伝統の1段下降窓のやや古いスタイルの32系を目立たないようにした編成とも思えました。

 

上り大宮行クハ550形(先頭)他4連    南桜井〜川間  1968−6

 

 先頭車はクハ550形と思われます。昭和24年に戦後まで残った中型木造客車のサハを鋼体化したものです。サハ80形として登場し、昭和29年運転台を新設してクハに改造された車両です。

   クハ550形+モハ3210形+モハ3210形+クハ550形

の編成と思われます。 

 

上り大宮行クハ423(先頭)他4連    南桜井〜川間  1968−6

 

先頭のクハは運輸省規格型、次位のモハは戦前のデハ10のロングシート版デハ1201の後身5450のようです。
クハ423(運輸省規格型クハ420形)+モハ5456(モハ5450形)+モハ5461(旧デハ1203の戦災復旧車モハ5460形)+クハ554

の編成と思われます。

 

上り大宮行クハ554(後尾)他4連    南桜井〜川間  1968−6

 

上の写真と同編成の電車を後尾から撮ったものです。

 

下り柏行クハ540形(先頭)他4連    南桜井  1968−6

 

  (大宮方)クハ420形+モハ3210形+モハ3210形+クハ540形

という編成と思われます。 この写真の先頭のクハはクハ550と異なり、3210のように台枠がドア部分以外を切り欠いたスタイルなのでクハ540形と思われます。昭和16年に木造客車を鋼体化したサハ70をクハ550と同じく昭和29年にクハ化したものです。

 

下り柏行クハ420形(後尾)他4連    南桜井  1968−6

 

上の写真と同編成の電車を後尾から撮ったものです。

 

上り大宮行クハ451(先頭)他4連    南桜井  1968−6

 

戦災国電復旧車のクハ451が先頭です。
 (柏方)クハ552(クハ550形)+モハ5401(モハ5400形)+モハ5454(モハ5450形)+クハ451(クハ451形)

と思われます。モハ5400形は昭和2年製のクハ3を電動車化したもので、3210形の前身デハ7より古い、デハ4(3ドアセミクロスシート)の仲間です。
 

上り大宮行クハ552(後尾)他4連    南桜井  1968−6

 

上の写真と同編成の電車を後尾から撮ったものです。

 

下り船橋行クハ550形(先頭)他4連    南桜井  1968−6

 

 クハ550形+モハ3210形+モハ3210形+クハ550形の編成と思われます。 

 

上り大宮行クハ420形(先頭)他4連    藤の牛島  1968−6

 

 (柏方)クハ540形+モハ3210形+モハ3300形+クハ420形

の編成と思われます。クハ420形の後部の3ドアの電動車はモハ3300形(3313)と思われます。

 

伊勢崎線

 

 本線の伊勢崎線には8000系が入り、78形、73形と共に主力でした。

 

下り東武宇都宮行準急78系4連    せんげん台  1968−6

 

下り伊勢崎行準急78系4連    せんげん台  1968−6

 

 78形は東武宇都宮行や伊勢崎行の長距離準急電車に使われていました。

 

下り8000系6連    春日部  1968−6

 

 原型の8000形6両編成です。どういう訳か?8000形のような新しい車は近距離用に、遠距離準急電車には78形、73形が使われておりました。

 

下り東武日光行急行「だいや」6000系4連    春日部  1968−6

 

 快速用6000形を使用した急行「だいや」東武日光行です。

 

下り伊勢崎線急行「りょうもう」クハ700(先頭)他4連   一の割〜春日部  1968−6

 

 伊勢崎線急行「りょうもう」は「ねこひげ」の愛称があった旧特急車5700系が主に運用されていました。ねこひげの流線型は貫通扉付に改造されていましたが!また、戦前の特急車デハ10の5310系も併結されていました。これは

         (浅草方)モハ5310形+クハ310形+モハ5700形+クハ700形

の編成と思われます。

 

下り伊勢崎線急行「りょうもう」モハ5310形(後尾)他4連    一の割〜春日部  1968−6

 

 上の写真の列車の後尾です。翌年には1800形が登場し、5310系は急行運用から外れ、5700系も臨時急行用になって

しまいました。

 

上り特急「きぬ」1720系6連 武里〜せんげん台 1968−6       下り普通幸手行2000系6連 せんげん台 1968−6

 

 日光線特急は既に1720形で運行されていました。地下鉄日比谷線直通用2000形は東武で初めて本格的の導入されたカルダン駆動高性能車でした。

 

ED5060形ED5065牽引上り貨物列車    せんげん台  1968−6

 

後尾の車掌車    せんげん台  1968−6

 

 さすがに、蒸気機関車運転ではありませんでしたが、ED5060形牽引の貨物列車も健在でした。ちゃんと車掌車もついていました。

 モニ1470形   春日部  1968−6

 

 伊勢崎線で日中、ただひとつ、見ることが出来た東武伝統的スタイルの面影を残す荷物電車でした。伊勢崎線、日光線系統では、夕方6時台に浅草を出発する伊勢崎行、東武日光行の各1本の通勤快速がただひとつ32系クロスシート車で運転されていましたが、写真は残せませんでした。

 

 以上、40年前の東武野田線、伊勢崎線の模様でした。

 

 謝辞

  「利きゅう」様より、野田線旧型電車。急行「りょうもう」の形式、編成を詳細にご教示頂きました。

  おかげさまで本ページを完成することが出来ました。深く感謝致します。

 

 参考文献  

  鉄道ピクトリアル1972年3号臨時増刊号、通巻263号 東武鉄道特集

  鉄道ピクトリアル1990年12号臨時増刊号、通巻537号 東武鉄道特集

 

(2011-6-7)
(2016-11-7)タイトル更新


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