東武鉄道日光軌道線(1963年)

 1963年(昭和38年)10月20日の日曜日、友人二人とで東武日光軌道線を訪れました。 国鉄日光駅、東武日光駅から日光ケーブルに接続する馬返まで9.6kmの軌道線です。日光駅から馬返まで標高差305mあり、最急勾配60パーミル、最高地点の馬返の標高838mという山の電車です。おそらく、最も高所を走る路面電車であったと思います。

軌間1,067mm、架線電圧DC600Vで、道路の中央、もしくは端を走る併用軌道が殆どでした。

 大正2年に全通した古い軌道ですが、走る電車は100形と連接車200形しかありませんでした。

 100形は1953年(昭和28年)に車両近代化のため10両作られた2軸ボギー電車で、前面はウインクした2枚窓でした。

 200形は1955年(昭和30年)に5両作られた連接電車で、スタイルは100形とほぼ同じでした。 100形は60PSモータ、2台、200形は同じ容量のモータ、4台と急勾配がある割にはそんなに強力ではありません。半鋼製、ノーシル・ノーヘッダの車体は当時としては標準的なものでしょうが、前面2枚窓というのは5700形、ネコヒゲ電車にも共通する東武のお好みでしょうか?

このように、電車にはあまり変化はありませんでしたが、沿線は変化に富んでいました。

 

 同行の友人、宮さんから、カラー写真を提供して頂きましたので、追加、置き換えの更新を致しました。(2006/4/6)

 

東武日光駅の側面の軌道線乗り場で客扱い中の馬返行105 1963-10-20

 

東武日光駅を発車する馬返行105           1963-10-20

 

国鉄、東武日光駅前のループ線

 日光駅の周辺では、日本のトラムでは珍しく、上の図の如く、ループになっていました。馬返から戻ってきた電車は先ず、国鉄駅の前に着き、東武駅に廻ったようです。上の写真は東武日光駅の側面の乗り場で、客を乗せ、馬返に向かって出発する電車です。

東武日光駅に直行する日光駅行108     1963-10-20

 

上記の如く、電車は先ず、国鉄駅に行くとのことでした。しかし、上の写真で、国鉄駅に行くのは左側の線路の筈ですが、この電車は東武駅に向かう線路に入ってきました。

 

東武日光駅を発車する馬返行108  宮さん撮影   1963-10-20

 

 東武日光駅を発車する馬返行108です。

 

  警察署前の日光駅行201     1963-10-20

 神橋までは、道路の中央を走っていました。警察署前停留所で電車は行違います。この当時から、車は渋滞しています。

神橋横の鉄橋に入る203 宮さん撮影    1963-10-20

 

               東照宮境内をバックに神橋横の鉄橋に入る103     神橋横の鉄橋を渡る205   1963-10-20

                                   1963-10-20

 日光のシンボル、神橋の横の専用鉄橋を電車は最徐行で渡ります。

神橋を渡り終え、東照宮境内の横を行く、馬返行107  1963-10-20

 

神橋を渡り終え、東照宮境内の横を行く、馬返行204   宮さん撮影  1963-10-20

 鉄橋を渡った馬返行電車は東照宮境内の大杉の下の道路の端を走ります。多客時は続行運転もしていました。

荒沢付近を行く、日光駅行104  宮さん撮影    1963-10-20

 

 

荒沢付近を行く、日光駅行202    1963-10-20

 

 

西参道の停留所を過ぎると、沿線はのどかになります。馬返に向かって道路の右端を走っています。 200形では前面窓にHゴムが嵌められているものが多く、一寸、表情がかわりました。

 

安良沢橋梁を渡る203      1963-10-20

 荒沢停留所を過ぎると専用の安良沢橋梁を渡ります。一寸、山岳路線の感じになりました。

電車車庫前停留所の馬返行205    1963-10-20

 

岩ノ鼻停留所の馬返行109  宮さん撮影   1963-10-20

 

横手付近を行く馬返行103   宮さん撮影   1963-10-20

 

横手付近の日光駅行205  宮さん撮影   1963-10-20

 

馬返駅近くを行く団体列車203     1963-10-20

 

 

 ずっと、走ってきた国道120号線から離れ、専用線を走ることが多くなり、清滝では古河電工工場内を走ったりして、終点、馬返には専用線で入ります。上屋のあるホームに到着します。

日光ケーブルカー 馬返   宮さん撮影   1963-10-20

 

  此処から、明智平に登るケーブルカーに接続していました。

 

テ12     日光車両区   1963-10-20

 

テ12側面     日光車両区   宮さん撮影  1963-10-20

 車庫には2軸単車が1台おりました。1929年(昭和4年)に作られたテ10形、テ12です。100形が就役する前はこの電車が主力であったようですが、このときは事業用として1台だけ残っていたようです。

 日光軌道線は訪れた時、既に赤字で、その廃止が検討されていたようです。1965年(昭和40年)に第二いろは坂が開通し、バスでの奥日光への輸送がメインになり、1968年(昭和43年)には廃止されてしまいました。ケーブルカーもその2年後には廃止になり、日光の輸送は道路交通のみとなってしまいました。

 廃止間際の写真を友人の米さんから提供頂きました。

 友人、宮さんのご協力により、カラー写真が入り、秋の日光での一日が華やかになりました。宮さんに謝意を表したい思います。

 

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  参考文献

  鉄道ピクトリアル1962年8月号臨時増刊、通巻135号 私鉄車両めぐり第3分冊東武鉄道 日光軌道線」

 

(2006-4-30)

改定(2006-5-6)


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