いろは坂の有料道路が開通したため、車が急増し、邪魔者視され、ついに廃止されることになった東武日光軌道線に別れを惜しむため、 米さんは1968年(昭和43年)に2回に渡り、厳冬の日光を訪れました。先ず、1月28日(日)に友人と廃止1ヵ月前の風景を留めました。

 

 

 東武日光駅舎の右側から日光軌道線の電車は出ていました。電車は連接車200形、206です。この右奥が国鉄日光駅です。

 

 

東武日光駅正面から見た出発を待つ206です。

 

 

東武日光駅を発車した電車は杉並木の中を国鉄日光駅に直進する線路と合流します。かっては、馬返し方面からの電車は直進し、国鉄日光駅前に達しました。 そこから、東武日光駅側面に廻るループ線になっておりました。日本の路面電車としては珍しいものでしたが、自動車交通の邪魔になるとのことで、このループ運転は1964年(昭和39年)に廃止になって終いました。この写真の右側奥に続く杉並木の中の線路には電車は既に走っていませんでした。

 

 

 駅から神橋方面に向かうメイン・ストリート国道119号を205が日光駅に向かっております。背後には雪をかぶった日光連山が連なっておりました。

 

 

 神橋に平行した専用橋に向かう205です。

 

 

専用橋を渡り終え、東照宮境内の下を大谷川に沿って走ります。川の向こう岸の丘の上に日光金谷ホテルが見える下河原電停で100形106日光駅行と105清滝行がすれ違います。

 

 

同じ下河原電停で清滝方面を見たものですが、清滝方面に向かう200形の後ろを電気機関車ED611が単機で続行して行きました。

 

 安良沢付近を日光駅方面に向かうED611牽引の貨物列車です。古河電工日光工場からの貨物を運ぶものでしたが、路面軌道を行く、貨物列車は珍しい存在でした。

 

 

その貨物列車の後尾です。貨物列車の営業運転は1月31に終了しました。これを撮るのが、このときの主な目的であったかも知れませんね。

 

 電車車庫で既に第一線を退いた車に会いました。

 

 

 テ10形12は幅の狭い半鋼製単車で、1929年(昭和4年)日車製です。あの花巻電鉄の「うまずら」電車に似ておりました。

電動貨車テト40形40はかっては、数両の貨車を従えた「トロリーフレイト」として貨物輸送に活躍しました。テト40形5両が戦時輸送のため1943年(昭和18年)に日車で作られました。

 

 

ED600形、ED602は元国鉄の碓氷峠のアブト式電気機関車ED40形ED4010です。元ED406のED601と共に1947年(昭和22年)に譲受され、貨物輸送に活躍しましたが、1955年(昭和30年)にED610形、ED611が就役した後、ED601は廃車になり、ED602のみ、予備機として残っておりました。


 

 1968年(昭和43年)2月24日に東武鉄道日光軌道線は最後の日を迎えました。米さんはその日の様子を留めるため、駆けつけました。

 

 

 100形3両をモールで飾り付けたお別れの花電車として、東武日光駅前〜清滝間で運転されました。東武日光駅で発車を待つ花電車です。

 

 

 花電車101が東武駅前を発車して行きます。

 

 

 雪の積もった神橋の横の専用橋を花電車は3両続行で渡って行きました。

 

 

下河原付近を大谷川に沿って走る花電車110です。

 

 

安良沢付近の花電車です。手前は105です。

 

 

 花電車は清滝に到着しました。

 

米さんのおかげで、東武日光軌道線の最後の様子を見ることが出来ました。有難うございます。

はーさんは寒いのが苦手なようで、行きませんでした。

 1963年(昭和38年)10月に友人宮さんとはーさんは訪れました。この時の

     

もちょっとご覧頂きたいと思います。

 

米さんのおかげで、日光軌道線の最後の風景を見ることが出来ました。 本ページの写真は全て米さん撮影ですが、文責ははーさんです。

 

参考文献

  鉄道ピクトリアル1962年8月号臨時増刊、通巻135号 私鉄車両めぐり第3分冊東武鉄道 日光軌道線」

 

(2013-4-10)


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