現在、ただひとつの都電、荒川線があります。かっては、都電27系統(三ノ輪橋〜荒川車庫〜王子駅前〜赤羽)、32系統(荒川車庫前〜王子駅前〜大塚駅前〜早稲田)の2系統で運行されていました。都電は1967年(昭和42年)から1972年(昭和47年)の間にほとんどの系統が廃止になりましたが、この2系統は大部分が王子電気軌道(王子電車)が敷設した専用軌道であったため、1972年(昭和47年)に王子駅前〜赤羽間が廃止され、1974年(昭和49年)に三ノ輪橋〜王子駅前〜早稲田の荒川線として残存することになりました。27系統、32系統として運転されている頃の姿を気まぐれに撮った画像がありました。現在の荒川線と違った情景をちょっと、ご覧頂ければ!と思います。

 


32系統 早稲田行 170形173    鬼子母神〜学習院下  1959年

 1959年(昭和34年)には王子電車から引き継いだ170形がまだ走っておりました。高床式でちょっと変わったスタイルでした。

 

27系統 赤羽行 2500形、2503と8000形8098    三ノ輪橋終点                1964年

 最後の都電と考えられていた2形式が並んでいました。8000形は既に都電の廃止構想があったため、耐用年数10年とし、安価に作られたもので、直線的なスタイルの軽量ボディでした。台車もインサイドフレームの簡易台車でしたので、揺れは激しかったようです。2500形は1,076mmゲージの杉並線用にバス車体工法を大幅に取り入れ、8000形より安価に作られたものですが、丸みを帯びており、8000形よりスマートな感じを受けました。1963年の杉並線廃止により、1、372mmゲージの台車に履き替え、荒川車庫に来ました。

 

                                              三ノ輪橋終点に進入する2503        三ノ輪橋  1964年  

 8000形は間接制御でしたが、2500形は古い電車の用品を使ったようで、直接制御ですね。バス窓が目立ちます。

27系統 王子駅前行 7500形 7520    町屋駅前       1973年

 

 8000形が都電最後の電車と目されていましたが、余りにも経済性を狙ったので、振動が激しく、早くも廃車になる車もあり、8000形製造の5年後の1962年に7500形を20両作ることになったようです。車体や台車は7000形に順じ、全面はほぼ8000形と同じくしたようです。1972年に都電の他の系統がすべて廃止になり、荒川車庫に事故車を除き、18両集結しました。 
 この27系統の7520は方向幕が王子駅となっております。王子駅前〜赤羽間廃止後も三ノ輪橋〜王子駅前間の27系統として運転していたようです。


32系統 7000形、7051 荒川車庫行、7061 早稲田行  飛鳥山〜王子駅前     1973年
 

 1954(昭和29年)から作られた7000形の1955〜56年(昭和30、31年)製の最終グループが他の系統が廃止されたとき、荒川車庫に集められました。

 


32系統 7000形、7065 早稲田行 飛鳥山〜王子駅前     1973年

  

 7500形の新製から、28年に渡り、都電の新車は無かったようですが、7000形はワンマン化で、7500形も冷房化により車体更新され、その風景も大きく変わりました。 

 

 参考ウェッブサイト

  Wikipedia 「都電2500形、7000形、7500形、8000形」
 謝辞
  畏友 小川峯生氏より、いろいろご教示頂きました。深謝致します。

(2018-9-25)


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