50年前の1958年(昭和33年)から2年間ほど、青山に居りましたので、9系統、10系統の都電には良く乗りました。

 

都電車内掲出「電車案内図」(一部)

(上の図をクリックしますと拡大図がご覧いただけます)

 

 

9系統は上の図でで表されているルートで

   渋谷駅〜青山6丁目〜青山1丁目〜赤坂見付〜三宅坂〜日比谷〜銀座4丁目〜築地〜茅場町〜水天宮〜浜町中ノ橋

10系統は上の図でで表されているルートで

   渋谷駅〜青山6丁目〜青山1丁目〜赤坂見付〜三宅坂〜半蔵門〜九段下〜神保町〜須田町

でした。

渋谷から都心に行く、都電の主要系統であったようで、青山車庫の6000形で運転されていました。

 6000形は都電と言えば思い浮かぶ電車で、1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)にかけて290両新製された半鋼製ボギー電車、ノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根のその時代のスタイルでした。青山車庫は三田車庫に次いだ主要車庫で、新製の6000形が集中的に配置されたようです。

 このように電車には変化がありませんでしたが、青山通から赤坂見付、そして、皇居の内堀に沿った三宅坂までは変化に富んでおり、写真に留めておこうと思いながら、青山に住んでいた間にはあまり撮れませんでした。

 他に居を移してから、1962年(昭和37年)に改めて撮りに出かけましたが、都電の色は緑とクリームから黄色にエンジの帯に変っていました。

 

 

渋谷を出発の9系統水天宮・浜町行 6000形、6208     昭和37年

 

渋谷を出発して宮益坂にさしかかる9系統水天宮・浜町行 6000形、6208     昭和37年

 

 渋谷の都電乗り場はハチ公前から、東急文化会館前に移動し、日本の路面電車としては珍しく、ループになっておりました。

青山通りから玉川通りに抜ける通りを下り、右折して、渋谷停留所に達しました。そして、出発した6、9,10系統の電車地下鉄銀座線の下を通り、宮益坂に右折して、登って行きます。

 

青山6丁目交差点     昭和37年

 

青山車庫前を過ぎ、次の青山6丁目で、6系統は右に分岐致します。

 

青山4丁目の9系統水天宮・浜町行 6000形、6198     昭和34年

 

 地下鉄銀座線外苑前の三叉路です。都電の停留所は青山4丁目でした。写真の右側に分岐する道路は秩父宮ラクビー場から神宮外苑に行きます。この近くに住んでいましたので、思い出深いところです。

 

青山2丁目の9系統 6000形、6159     昭和37年

 

 青山2丁目からは外苑の絵画館に続く広いブロムナードがありました。

 

青山2丁目〜青山1丁目間の臨時9系統月島・新佃島行 6000形、6197    昭和37年

 

青山1丁目付近にビッグネームを持った小さな不動産屋さんがありました。その前を臨時9系統、月島、新佃島行が走って行きます。晴海あたりで、なにか、イベントがあったのでしょうか?

 

青山1丁目電停付近の10系統渋谷駅行 6000形、6162    昭和37年

 

 青山1丁目交差点では7系統と33系統とクロスします。

 

青山1丁目交差点を渡る7系統もしくは33系統の1200形     昭和37年

 

 7系統(品川駅〜魚藍坂〜天現寺橋〜青山1丁目〜四谷3丁目)と33系統(浜松町1丁目〜神谷町〜六本木〜青山1丁目〜四谷3丁目)はいずれも小型車1200形で運転されていました。交差点を渡る1200形は6000形に比べ、小さいですが、全面がやや傾斜した流線形であることが分かります。

 

 

赤坂御所に沿って走る9系統渋谷駅行 7000形、7072     昭和37年

 

 青山1丁目交差点を過ぎると北側に赤坂御所の土塁が続きます。

 7000形は1954年(昭和29年)から作られた正面2枚窓の全金属製ボギー車で、窓が大きく軽快な電車でした。青山車庫への配属は遅れたようで、青山に居た昭和34年頃は見られませんでした。

 

カナダ大使館?の前を走る9系統渋谷駅行 6000形、6255     昭和37年

 

 右側にブロック塀が続きます。現在、カナダ大使館があるあたりですが、当時も大使館があったか?はわかりません。

 

草月会館の前の10系統青山渋谷行 6000形、6149      昭和37年

 

 青いタイルのモダンな草月会館の前を行きます。1958年(昭和33年)に丹下健三の設計で建造されたとのことで、当時は斬新なスタイルが目を引きましたが、現在は建て替えられて、この建物は見ること が出来ません。

 この電車の方向幕は「青山渋谷」となっています。青山通り経由渋谷行との意と思いますが、分かり難いのか、昭和37年当時はほとんど「渋谷駅」になっていました。

 

港区役所赤坂支所の前の9系統渋谷駅行 6000形、6168      昭和37年

 

 港区役所赤坂支所は、旧赤坂区役所で戦前からの建物であったと思います。

 

豊川稲荷の前を行く10系統須田町行 6000形、6156      昭和37年

 

 豊川稲荷の東京別院であるとおもいますが、東京で豊川稲荷と言えば、赤坂の豊川稲荷を連想しました。豊川稲荷は神社ではなく、お寺です。

 

虎屋の前の9系統水天宮・浜町行 6000形、6157     昭和37年

 

 とらや(虎屋)の赤坂本店は現在では通りの南側にありますが、当時は豊川稲荷と同じ北側にあったようです。

 

赤坂見付から豊川稲荷への坂を登る10系統 渋谷駅行 6000形、6200      昭和37年

 

 赤坂見付の交差点に向って、長い坂になっていました。

 

青山方向から見た赤坂見付交差点     昭和37年

 

 赤坂見付の交差点は谷底で、9、10系統はS字カーブを描いて、交差点を渡り、再び平河町2丁目に向って急坂を登って行きます。交差点では3系統(品川駅〜札の辻〜溜池〜赤坂見付〜四谷見附〜飯田橋)とクロスします。正面の丘にあるのは赤坂プリンスホテル旧館でその右に聳えているのは新館です。その下に作業所の小屋が見えますが、2年後の1964年(昭和39年)の東京オリンピックにあわせて、建設され ていた高速道路の建設が進行中であったと思われます。この風景は間もなく、高速道路の下になり、見られなくなりました。

 

三宅坂方向から見た赤坂見付交差点     昭和28年 「むーさん」撮影

 

 この交差点を平河町2丁目方向の坂から見たところです。青山方向からの写真より9年前のものです。

「むーさんの鉄道風景」から転載させて頂きました。

 

赤坂見付から平河町2丁目への坂を登る10系統須田町行 6000形6169  昭和34年 

 

 赤坂見付交差点から平河町2丁目への急坂を登ります。右側に見えるのは米軍住宅地「ジェファーソン・ハイツ」です。現在は衆参両院議長の公邸が建てられています。

 電車の前方に見える建設用クレーン状のものが見えますが、都道府県会館の新築現場のようです。1960年(昭和35年)から使用開始されたこのビルも1999年には高層ビルに建て替えられ ました。

 

赤坂見付から平河町2丁目への坂を登る9系統水天宮浜町行 6000形6164  昭和34年 

 

赤坂見付から坂を登る電車の後ろには青山方向の展望が開けています。(この写真は逆光で撮影し、かつ、経年変化も見受けられ、お見苦しいと思いますが、ご容赦願います。)

 

三宅坂から平河町2丁目に向かう10系統青山渋谷行 6000形6146  昭和34年 

 

 平河町2丁目からは再び、少し、坂を下り、皇居内堀に面した三宅坂三叉路に達します。

 

三宅坂三叉路を銀座方向から入る9系統渋谷駅行 6000形6152      昭和37年 

 

 三宅坂では9系統の電車は銀座方向へ右に行きます。

 

三宅坂三叉路を九段坂方向に向かう10系統須田町行 6000形6176    昭和37年 

 

 10系統は九段下、神田神保町に向い左折します。

 

9系統、10系統の追跡は三宅坂で終わりのようです。

早くから、地下鉄と競合している路線でしたが、乗客も多く、頻繁に運転されていました。

9系統は山の手の青山から下町の水天宮、浜町まで行っており、車掌さんが「水天宮から浜町河岸迄まいります。」と案内していたのが 、なにか、異世界に連れて行かれるようで、耳に残っています。

 


 

 青山車庫の担当の路線はいま一つ、6系統(渋谷駅〜青山6丁目〜六本木〜溜池〜虎ノ門〜新橋〜汐留)がありました。

 

溜池方向から六本木への坂を登る6系統渋谷駅行 6000形6169  昭和37年

 

六本木から溜池方面に坂を下る6系統汐留行 6000形6201  昭和37年

 

 六本木交差点を渡ると溜池方向に向かって、急坂がありました。ここを登り、下りする6系統の電車です。

 

 

謝辞

 「むーさん」さまから本ページ作成に当たり、場所の同定、画像の提供など大変お世話になりました。深く謝意を表したいと思います。

 

(2008-10-8)
(2016-11-7)タイトル更新


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