都電はアイボリーに臙脂の帯といういでたちが、映画にも登場し、一般的なイメージになっているようです。これは、都電版PCC5500形に端を発しているようですが、退色性が少なく、経済的なこともあったようです。
 しかし、はーさんはどうもこの色が好きになれず、緑とクリームの塗り分けで、正面がいわゆる「金太郎の腹掛け」の塗り分けになっている姿が都電のイメージとして、浮かんで来るようです。この塗色は1960年(昭和35年)頃まででしたので、カラーでは撮っておりませんでした。
 最近、モノクロ画像を簡単にカラー画像に変換できるサイhttps://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/トを教えて頂きました。この変換結果の画像をphotoshopでいじくり廻し、なんとか、この緑とクリームの都電のカラー画像を作り出しました。もちろん、完全な再現とは行来ませんが、なんとか、イメージを出せたようにも思います。



三宅坂から平河町2丁目に向かう10系統青山渋谷行 6000形6146  昭和34年


赤坂見付から平河町2丁目への坂を登る10系統須田町行 6000形6169  昭和34年 



青山4丁目の9系統水天宮・浜町行 6000形、6198     昭和34年

 9系統(渋谷駅~(青山通り)~赤坂見附~三宅坂~銀座4丁目~築地~水天宮、浜町)、10系統(渋谷駅~(青山通り)~赤坂見附~三宅坂~神保町~須田町)は青山車庫担当で、昭和34年当時、すべて、6000形で運転されていました。


赤坂見附交差点から弁慶掘に沿って走る700形706、3系統 昭和34年 


700形715、3系統 赤坂見付 昭和34年


赤坂見附のダイアモンドクロスを渡る3000形3207、3系統 赤坂見付 昭和34年

 3系統((品川駅~札の辻~赤羽橋~神谷町~虎の門~赤坂見付~四谷見附~飯田橋)は赤坂見付~飯田橋間で外堀に沿って走っており、特に、四谷見附までは変化に富んでおりました。ほとんど、小型車700形で運転されていましたが、3000形も入ることがあったようです。


飯倉片町の坂を登り始める1200形1272、33系統 昭和34年


飯倉片町の坂を登る1200形1272、33系統 昭和34年

33系統(浜松町一丁目~神谷町~六本木~四谷三丁目)の比較的短い運行でしたが、飯倉片町の急坂を登るのが印象的でした。神谷町方面からの桜田通りを少し登ったところに外苑東通りと交差する飯倉交差点がありました。外苑東道路は六本木に向って、急坂になっており飯倉片町に達します。
上の写真の左横から右横に桜田通りが延びております。左は神谷町方面で、右が赤羽橋方向です。電車の後が飯倉交差点で、33系統の電車は交差点を右折して、外苑東道路に入り、急坂を登り始めます。桜田通りを神谷町から赤羽橋に直進する3系統と8系統(中目黒~赤羽橋~神谷町~虎ノ門~銀座~築地)の電車は飯倉交差点をサミットとして、下って行きます。
 下の写真は右にカーブを描きながら飯倉片町に向って登って行く1272です。道路の舗装が急坂を登る車のスリップ防止のため、石畳状になっています。5%ぐらいの急勾配と思います。
 33系統は1200形がもっぱら、使われいていました。 1200形は1937年(昭和12年)から、作られた車長10mの小型半鋼製ボギー車ですが、当時流行の半流線形スタイルでした。

 
銀座通りを走る1100形、1111 銀座七丁目~銀座四丁目 昭和34年

銀座通りを1100形、1111 ぞろ目が走っています。回送車ですが、40系統担当の神明町車庫のものです。 1111は都電唯一つのぞろ目かもしれないようです。 なにか、幸せな気分になりました!


荒川遊園に保存展示されている6000形、6152  2005-4-5

これは、荒川遊園にグリーンとクリームの塗り分けで保存展示されている6000形です。復元された色の常で、やや、派手な感じです。実際に走っていた時の色は退色もあり、これより、やや地味なものであったと思います。
 カラーに転換した画像も十分再現出来たとはとても言えませんが、昭和30年代前半の都電の雰囲気を少しでも味わって頂ければ、幸いです。
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謝辞

 「西宮後」様より、モノクロ画像のカラー画像変換サイトをご紹介頂き、それにより本ページが作成できました、深謝致します。

(2016-12-25)

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