東急の吊掛け駆動旧形電車 を3000系と総称されることが多いよう ですが、戦前の名車モハ510を含む多彩な車が含まれておりました。1989年3月に目蒲線を最後に東急線から姿を消すことになりました。既に、車体を大きく更新して、そのデティールは変っておりましたが、面影は残っておりました。色も濃紺とイエローのツートンカラーから、ライトグリーン1色になりました。オリジナルのダークグリーンではありませんが、ツートンカラーより似会っていたと個人的には思いました。いつもながら最後の姿を追いました。
デハ3450形3460(後尾)目蒲線蒲田行 多摩川園前 1989-3
元モハ510形のデハ3450形は若いナンバーの車は非貫通でした。モハ510の時代には運転台の窓上にかなり深いフードがついており、東横線のイメージを作っておりました。
デハ3450形3483(後尾)目蒲線蒲田行 田園調布〜多摩川園前 1989-3
デハ3450形も貫通扉付では軽快な感じでした。
デハ3500形3521(後尾)目蒲線蒲田行 田園調布〜多摩川園前 1989-3
デハ3500形3512(後尾)目蒲線目黒行 田園調布〜多摩川園前 1989-3
デハ3500形3522(後尾)目蒲線目黒行 田園調布〜多摩川園前 1989-3
旧モハ1000形のデハ3500は非貫通、片隅運転台で、前面の真中の窓が細く、窓が大きく軽快な感じで、東京の郊外電車の典型的なスタイルの電車でした。東横線が標準軌に改軌し、京浜電気鉄道に乗り入れる計画があったため、長軸台車を履いていました。かなり前から目蒲線で走っており、最後のこの時期でもたくさん残っておりました。張り上げ屋根、ヘッドライトが改造され、容貌は大きく変わっておりましたが!3000系最後の新製車サハ3250(1965,66年 東横車両製)を挟んでMTMで走っておりました。
デハ3650形3652(後尾)目蒲線目黒行 田園調布〜多摩川園前 1989-3
デハ3650形は戦後デハ3500形をベースに作られたモハ3550形の相棒のクハ3650形を電装してモハにした車でしたが、写真の電車は貫通扉付になっておりました。
発車を待つデハ3650形3655(後尾)とクハ3850形3853(後尾) 目黒 1989-3
目蒲線、目黒駅は2線、対向式端頭式ホームのこじんまりした駅でした。クハ3850形は1953年(昭和28年)からクハだけ17両作られ ました。手持ちの電動車が多かったようです。最初の5両は川崎車両で製作され、OK台車を履いていましたので、乗り心地が良く、張り上げ屋根のスマートな姿と共にお好みのファンも多かったように思います。 同じ年にはデハ3800形が2両だけ作られました。張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダー、2段上昇窓の上窓がバス窓になっているスマートな姿は人気がありましたが、1980年に十和田観光電鉄に譲渡されてしまいました。翌1954年(昭和29年)には5000形(初代)が登場しました。
参考ウェッブサイト
ウィキペディア、フリー百科事典「東急3000系電車」
(2012-3-30)
(2016-11-7)タイトル更新