土佐電鉄にはかって安芸線という鉄道線がありました。国鉄土讃線後免(ごめん)駅から安芸(あき)迄、26.8km、1067mmゲージ、架線電圧DC600Vの電鉄線でした。現在、第3セクター、土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」が走るルートでした。
1965年(昭和40年)のゴールデンウィークの中国、四国鉄道の旅で、5月2日の朝、土讃線後免駅に降り立ちました。
ここから、土佐電鉄安芸線に少し乗りました。高知を昼前にたち、足摺岬を目指すことにしていましたので、軌道線にも乗るためには、9.3kmの赤岡まで行くのが限界でした。
モハ5000形、モハ5003(先頭) 後免 1965-5-2
後免駅の土佐電ホームでは、なにか、見たことのある電車がいました。阪神電車の小型車です。この線が電化した昭和24年に京阪電車の木造ボギー車100形と南海から譲り受けた台車を用い1000形を作りましたが、車体の老朽化により、昭和39年に阪神1101形、1111形、1121型の車体に乗せ替えモハ5000形としました。又、電化前のガソリンカーの車体を利用した制御車も同じく、乗せ替えクハ3000形としました。
この系列の車は阪神でも特に小型で、車長は13.2mしかありませんでした。1111形、1121形は幕板に明り窓がありますが、1101形にはありませんでした。車齢の古い1101形は主にクハになったようです。
阪神時代に最後に伝法線(現西大阪線)で走っていた1121形の姿は下のアイコンをクリックすることで、ご覧いただけます。
後免行 クハニ3500形、クハニ3501(先頭) 野市 1965-5-2
旧ガソリンカーの車体を利用した制御車はクハニ3501、1両だけが残っていました。
安芸行 6000形、630(先頭) 赤岡 1965-5-2
国鉄後免の次が後免町で、軌道線と結ばれていました。高知市内鏡川橋から安芸まで、直通電車が1日8本運転されていました。このころはもっぱら、総括制御の出来る軌道線の600形で運転されていました。駅には鉄道線車両用の高いホームと軌道線電車用の低いホームがありました。
赤岡駅のホームで 1965-5-2
車掌がお金をホームに降りて整理しています。無人駅が多く、車内での乗車券の販売も多いのでしょう。
安芸行 6000形、631(後尾) 赤岡 1965-5-2
赤岡からは海岸線を走るようですが、時間がなく、残念でした。折から、連休の日曜日でしたので、行楽客を一杯乗せて、走り去って行きました。
後免行 クハ3000形、クハ3001(先頭) 赤岡 1965-5-2
クハ3001を先頭にした後免行が同じホームに入ってきました。交換の時以外では、上下列車とも駅舎のあるホームに入ったようです。
安芸行クハ二3501(先頭)と後免行 クハ3001(先頭)の交換 野市 1965-5-2
野市駅で再び、クハ二3501と交換しました。
鉄道線後免町駅のモハ5000形、モハ5002、モハ5001 1965-5-2
軌道線接続の後免町に到着しました。この写真の手前に軌道線との分岐があり、左側に軌道線の駅がありました。
軌道線で高知市内に向いました。
ED2形、ED2001 後免町 1965-5-2
野菜の出荷など、貨物扱いも結構あったようで、貨物列車も1往復設定されていました。凸型電気機関車が後免町に居りました。
国鉄安芸線(現土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」)の開通を前に1974年(昭和49年)4月1日に土佐電鉄安芸線は廃止になってしまいました。
タイトルでは登記名の「土佐電気鐵道」としましたが、軌道線切符にも「土佐電気鉄道」と書かれていましたので、あまり 「鐵」にはこだわっていなかったようです。
参考文献
鉄道ピクトリアル1969年12月号臨時増刊 通巻232号、私鉄車両めぐり第10分冊 土佐電気鉄道株式会社(鉄道線)
(2009-6-22)
(2016-11-7)タイトル交信