1959年(昭和34年)10月の鉄研合宿旅行で東北に行きました。その帰途、19日には黒磯で、交流電気機関車ED71に牽かれる列車を撮り、出来たてのデラックス準急「日光」用157系の快速に乗り、西那須野に来ました。
ここで、東野鉄道を訪れました。東野鉄道は西那須野〜黒羽間13.1km、ゲージ1,067mm、非電化の鉄道でした。
大きな木造の屋根のあるホームにはキハ501が客をまっておりました。これは国鉄キハ42000形(→キハ07形)と同じ、流線型たまご形の気動車ですが、これは元五日市鉄道キハ501で、国鉄を経て譲受したものです。
これに乗って、沿線の主要駅、大田原まで行ったようです。
大田原まで、4.6km、8分程で到着しました。入場券と帰りの切符を買い、帰りを急ぎました。
帰りの車はキハ502でした。元国鉄キハ41008です。西那須野駅で撮り、急いで、帰りの途についたようで、このとき撮った写真はこの2枚だけでした。
当時もバスに肉薄されていたようですが、まだ、西那須野〜黒羽間、15往復の運行はしていたようです。
50年来の友人の米さんが、1966年(昭和41年)11月24日に訪問されました。その時の写真を使わせて頂き、7年後の東野鉄道の風景を見てみたいと思います。
国鉄西那須野駅からの連絡跨線橋は木造で、古色蒼然としておりました。そして、ゲートが閉まっておりました。
「9月25日の台風により、蛇尾川鉄橋が破壊されたため、大田原〜西那須野間の折り返し運転をしています。しかし、一部の列車は休止していますので、バスを利用して下さい。」というお知らせが張ってありました。西那須野〜大田原間 の列車は朝と、夕方、それぞれ3往復だけとのことでした。
相変わらず、大きな木造の屋根のある西那須野駅のホームにはキハ501が停まっておりました。サボは西那須野=大田原になっております。
車内補充券にはまだ、黒羽までありました。
米さんはこのキハ501で大田原に来られたのだと思います。沿線の主要駅の大田原駅は構内も広々としておりました。
木造駅舎は大きく、堂々としておりました。駅前広場は未舗装で、この鉄道の開通した1918年(大正7年)の雰囲気がそのまま残っているようです。電話ボックスだけが、モダン?です。
駅の改札口の上の黒い発車時刻表も年代もののようですが、列車は上り6本だけです。
右の写真は台風で破壊された蛇尾川鉄橋でしょうか?線路の真中になにか?標識のようなものが立っております。
終点の黒羽駅迄、バスで行かれたのでしょうか?ここには車庫があり、この鉄道の中枢でしたが、既に列車は来ませんでした。
西那須野〜大田原間に残ったキハ501だけで、細々と運行していたのでしょう。
駅構内の大田原寄りと思われます。線路の上で子供が遊んでいます。列車が来ませんので、絶好の遊び場だったのでしょう?
その反対側の風景です。木造の駅舎と車庫、元ガソリンカーの車が3両おります。なにか、昭和の鉄道のジオラマを見ているようです。
小さなターンテーブルや屋外の転鉄テコなど、軽便を思わせるようなものも点在しておりました。
「東野鉄道鉄道課」の木造の事務所もありました。立派な屋根付きの玄関があります。
ガソリンカー改造の4輪客車です。上がハ30で1930年(昭和5年)日車製、常総鉄道キハ13を客車化したものです。下は元キハ20、1936年(昭和11年)日車製のガソリンカーを客車化したものです。
軽便のようなワブ2もおりました。
東野鉄道はこれから、2年後の1968年(昭和43年)12月16日に全線廃止になりました。それまでに、大田原〜黒羽間の復旧はなく、この時と同じく細々と運行を続け、姿を消したものと思われます。
以上、米さんのおかげで、東野鉄道の風景を楽しむことが出来ました。1966年の写真は全て米さん撮影です。謝意を表したいと思います。文責ははーさんです。
参考文献&ウェッブサイト
鉄道ピクトリアル 1960年12月号 臨時増刊 私鉄車両めぐり第一分冊 東野鉄道
フリー百科事典ヴィキペディア「 東野交通」
交通公社時刻表1962年10月号
(2013-3-25)