(リニューアル版)
昭和30年代後半にはまだ、明治の鉄道のなごりがわずかに残っておりました。
1963年(昭和38年)のゴールデンウイークに友人と出かけた東北の鉄道を訪ねた旅の最終日にマッチ箱と言われた明治時代の4輪客車が現役で走っている羽後交通雄勝線を訪れました。
デハ7 湯沢 宮さん撮影 1963-5-1
湯沢駅で跨線橋を渡り、雄勝線の木の屋根があるホームに行くと、この時代の平均的なスタイルの電車が客を待っていました。高床式電車ですが、ポール集電で、そのために、ヘソライトである点が一寸かわっていました。この電車はデハ7、
西武所沢工場で、古い車両を利用して作られた半鋼製ボギー車で、羽後交通には、この年に来たピカイチの電車でした。全長13.5m、電動機48.5kW、速度26km/h。派手なツートンカラーを装っています。
雄勝線は奥羽本線湯沢駅から西馬音内を経て梺までの11.7km、ゲージ1067mm、架線電圧DC600V、で架線は直接吊架のトロリー線で、この時代も珍しいポールを使っておりました。
デハ7はマッチ箱を2両牽いておりました。次位はハフ11。明治41年、天野工場製の段落ちダブルルーフの長さ8mの4輪木造客車です。ハフ13はオープンデッキを持った長さ約9mの木造4輪客車で、ハフ11より若干、若く、大正1年、新宮鉄道工場製です。これらは愛知県の明治村で、動態保存されております。
後尾にワフ2を連結、手荷物の積み込み中 1963-5-1
ハフ13の後に木造4輪のワフ2をつなぎ、手荷物車にしております。小荷物も結構あったようです。
デハ6牽引の上り列車 羽後三輪 1963-5-1
デハ6+ホハニ2+トム3、湯沢行の進入を待つ降車客 羽後三輪 1963-5-1
デハ6牽引の上り列車とデハ7牽引の下り列車の交換 羽後三輪 1963-5-1
湯沢から3つ目の羽後三輪で上り列車と交換です。上り列車はデハ6がホハ二2と木材を満載したトム3を牽いて来ました。デハ6は1959年(昭和34年)西武所沢工場製、これも古い電車を利用して作られたものと思われます。全長12.2mの半鋼製ボギー車、電動機41kW、速度25.7km/h。ホハ二2は国鉄から譲り受けた木造ボギー客車を荷物室付きに改造したもので、全長16.8m。デハ6に比べ、巨大に感じられます。
西馬音内駅 1963-5-1
湯沢から5つ目の西馬音内に27分程で到着です。西馬音内はニシモナイと読みます。当時も難読駅の筆頭でした。羽後地方の中心の街で、この線の要衝でした。木造ですが、大きな駅舎でしたが、駅前広場は未舗装でぬかるんでおりました。この写真にちょっと顔を出しているバスのみが大きく近代的に見えました。駅には乗客も多く、小さな電車が大きな木造ボギー客車を牽き、多い乗客に対応しておりました。このあと、道路が舗装、整備され、バスが主役になり、この線も廃線に追い込まれることになりました。
西馬音内には車両基地があり、この線の主な車が居ました。以下にそれらをご紹介致しましょう!
デハ1形 デハ3 西馬音内 1963-5-1
デハ3の車内 西馬音内 1963-5-1
デハ1形は1927年(昭和2年)に当線開業時に作られた木造単車で、訪れた時にはデハ1、3のみが残っておりました。全長8.4m、電動機36.8kW 、速度24km/h、直接制御、ハンドブレーキのみのささやかな電車でした。
デハ4 西馬音内 1963-5-1
1942年(昭和17年)日立製の日立電鉄デハ7を1950年(昭和25年)に譲り受けデハ4とした木造ボギー車です。全長12.5m、電動機31.3kw、速度25km/h。昭和17年に木造車が作られたのは珍しいと思いますが、戦時中の物資不足によるものなのでしょう。間もなく、電装解除され、ホハフ5になりました。
デハ5 西馬音内 1963-5-1
デハ5は1954年(昭和29年)に日本鉄道自動車により、都電150形(元王電)を3000形に更新するときの不用になった車体を使い、作った半鋼製ボギー電車です。車長12.5m、電動機37.3kW、速度26.6km/h。
ハフ11 西馬音内 1963-5-1
ハフ11 車内 西馬音内 1963-5-1
ハフ11 製造銘版 1963-5-1
お目当ての明治の4輪客車ハフ11を西馬音内の折り返しの時、眺めまわしました。台枠には「天野工場製造、明治41年1月」の銘板もありました。長さ、約8mの小さな4輪客車です。
湯沢駅には木造ボギー客車ホハフ2が留置されていました。1910年(明治43年)神戸工場製の長さ16.7mの木造ボギー客車で、1954年(昭和29年)に国鉄より、譲り受けたものです。
デハ6+ホハフ2+ホハ二2 下り列車 羽後三輪 1963-5-1
満員の下り列車 羽後三輪 1963-5-1
デハ6牽引の下りり列車とデハ7牽引の上り列車の交換 羽後三輪 1963-5-1
乗車券、車内補充券
最後に、当時の乗車券、車内補充券をご覧頂きましょう。
湯沢~梺(ふもと)間11.7kmを約40分で走りました。表定速度は18km/h弱でした。直通ブレーキのエアーホースも見受けられず、電車のみブレーキで制動をかけていたようです。一日、10往復(一部、西馬音内まで)の列車が走っておりました。このようなのんびりとした鉄道も訪れた1963年(昭和38年)頃は、乗客も多く、木造ボギー客車を国鉄から譲り受け、それなりに盛況でした。しかし、道路の舗装、整備が進むに連れて、大型バスに太刀打ちできなくなりました。
1967年(昭和42年)に西馬音内~梺間、廃止。1971年(昭和46年)には先に廃止になった横荘線(横手~老方間)の気動車を使用し、電車運転を廃止。運転費用の低減を図りましたが、1973年(昭和48年)4月1日に全線廃止になりました。訪れてから、10年後でした。
参考文献
鉄道ピクトリアル 1965年7月号臨時増刊、通巻173、私鉄車両めぐり第6分冊「羽後交通」
交通公社の時刻表 1963年8月号
参考ウェッブサイト」
ウィキペデイア、フリー百科辞典 「羽後交通雄勝線」
(2017-7-7)