1960年(昭和35年)の夏、未だ、学生であったころ、なけなしのお金を叩いて、カラーフィルムを買い、横浜市電を撮りに行きました。都電がクリームにエンジの帯に装いを変えたのに見習ったのか、クリームにライトブルーの帯という塗色に横浜市電も変えつつありました。横浜で生を受け、親しんできたブルーとクリームのツートンカラーの市電の姿を撮って おきたかったのかも知れません。
横浜の神奈川区で生まれ、幼年時過ごしましたので、六角橋から横浜の中心街、伊勢佐木町の入口の馬車道を通り弘明寺まで行く、1系統、生麦から第一京浜国道上を走り、馬車道から本牧まで行っていた2系統などはよく覚えていますが、常時運行しているルートとしては13系統までありました。
500形 540 11系統六角橋ー葦名橋 市庁前 1960年8月
600形 609 2系統、生麦ー本牧一丁目 市庁前 1960年8月
700形 707 市庁前 1960年8月
大都市の市電としては珍しく、4輪単車がたくさん走っていました。 戦後も100両を越える単車が走っていたようですが、この写真を撮った1960年(昭和35年)でも77両が活躍していました。六角橋に来る電車は殆ど単車であったような覚えがあります。
500形は1928年(昭和3年)に60両製作した半鋼4輪単車で、戦前から横浜市電の中心的な電車であったようです。シングルルーフで、単車としては意外にスマートな感じでした。
600形は戦災にあった500形、15両を改造して作ったもので、2段上昇窓になりました。
700形は関東大震災の復旧の為、急造した木造単車200形を1939〜41年(昭和14〜16年)に改造したもので、容貌は600形と似ていましたが、側面は短冊張の木造車でした。
1000形 1009 本町四丁目 1960年8月
1000形 1014 13系統、桜木町駅前ー杉田 本町四丁目 1960年8月
1300形、1328 5系統 洪福寺前ー間門 市庁前 1960年8月
1400形、1410 6系統 桜木町駅前ー葦名橋 初音町 1965年
中央扉を持った大型半鋼ボギー車1000形が1928年(昭和3年)に15両作られました。単車500形と同じ年に作られたというのは面白いと思います。一段下降窓で、顔つきも 500形に似ているようです。
1300形は戦後の1947年(昭和22年)に30両作られた中間扉付大形半鋼ボギー車でした。この電車は大阪市電1700形に良く似ています。地方の路面電車が都電のスタイルを真似をすることが多かったようですが、横浜市電は対抗意識があったのでしょうか?最も、都電の大形車は5000形しかなかったので、真似しようとしても出来なかったのでしょう。
都電は6000形などの中型電車が殆どを占めているのに対し、横浜市電は多くの小型単車を作る一方で、大形ボギー車も製作していたのは特異な感じでした。これは、北の六角橋、生麦方面は東横線、京浜急行と並走していましたので、輸送需要はさほど大きくないが、南の杉田方面は国鉄根岸線が開通するまで、対抗する路線が無かったので、乗客は結構多かったのかもしれません。
1400形は1949年(昭和24年)に10両作られた大形半鋼ボギー車で張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダの当時としてはスマートな電車でした。
1500形 1514 10系統、桜木町駅前ー弘明寺 本町四丁目 1960年8月
1500形は横浜市電のPCCカーとして1951年(昭和26年)に20両製作された中型ボギー車です。PCCとは米国で開発された制振・静音路面電車です。東京都電5500形、 5501は米国の技術を導入して作られたPCCカーで、フートペダルのアクセル、ふくらみを持った前面2枚窓の車体などPCCの設計思想をそのまま、実現したものでしたが、1500形は通常の間接マスコンを持っており、車体も2枚窓ではありますが、PCCスタイルではありません。都電5501は試作車で、大量生産はされませんでしたが、1500形は量産されており、PCCとは言ってもその思想のみを取ったのかも知れません。
いずれにしても、横浜市電としては技術的には最も進歩した電車と言えましょう。
1600形 1605 4系統、保土ヶ谷橋ー本牧一丁目 市庁前 1960年8月
1600形 1606 11系統、六角橋ー葦名橋 市庁前 1960年8月
1600形は戦後、木造車の改造で急造した単車800形の代替車として、1957年(昭和32年)に市交通局工場で作られた中型ボギー車で横浜市電最後の新車でした。大阪市電3000形をベースにしたようですが、感じは大分異なっておりました。
道路交通事情と赤字の為、1966年(昭和41年)生麦線廃止、1968年(昭和43年)六角橋線廃止、1972年(昭和47年)全廃されました。
参考文献
ちんちん電車ーハマッ子の足70年ー 横浜市交通局 昭和47年3月発行
(2006-5-20)
(2016-11-8)タイトル更新