1962年(昭和37年)7月15日に信越本線の高崎ー横川間が電化されました。碓井峠のアブト式を廃止し、スピードアップと輸送力増強を目的とした粘着新線も試運転を始め、翌年の8月には軽井沢ー長野間も電化され、新線経由で、高崎ー長野間の電化が完成する予定になっていました。その時には新製のEF62が上野から長野まで主機として牽引し、横川ー軽井沢間で、EF63、2両の補機を従えることになっていました。それまで、高崎ー横川間は旅客列車は電気機関車、貨物列車は蒸気機関車で運転されることになりました。横川で、EF53、EF58がアブト式ED42と顔を並べるのはこの1年 限りでした。7月15日に早速、その様子を見に行きました。
碓井峠のアブト式区間を普通旅客列車を牽いてきたED4215が解結され、引き上げて行きます。そのかたわらに上野までの本務機EF5313が待っています。架線電圧はアブト式のままDC600Vでした。場内信号の近くにDC1500Vとのデッドセクションを設けて、DC1500V用電気機関車がそのまま乗り入れていました。短期間なので、機関車の複電圧化の改造は行わないませんでした。構内で、高速運転はしなかったので、特に問題はなかったと思いますが、コンプレッサの動作が鈍くなるので、横川駅に進入する前に、エアーを一杯込めて入り、横川駅滞留を出来るだけ短くするようにしたとのことです。
上野までの本務機EF5313が連結され、横川駅1番線で、出発を待つ上り普通旅客列車です
普通旅客列車はEF53に牽かれることが多かったようです。この機関車の最後の活躍の場であったのかも知れません。
出庫したED42の3連(先頭ED4223)がEF15の横を行きます。
本来、貨物用のEF15(EF15126)が旅客列車の先頭にいます。上越線で牽くこともあったようですが、旅客用の機関車が足りなかったのでしょうか?でも、高崎線には直通しな かったのでしょう。
1番線で上り旅客列車の先頭で出発を待つEF15の横をD51(D51113)に牽かれた貨物列車が3番線に入ってきました。
EF58(EF58135)が下り急行「白山」601レ上野発金沢行を従え、横川駅に登ってきました。急行、準急だけはEF58が牽引していたようです。
急行「白山」を牽いてきたEF58135は上り準急「妙高1号」2305レ直江津発上野行の先頭で下って行きます。傍らの引き上げ線に横川まで、アブト式区間を牽引してきたED42が休んでいます。
気動車で運転していた高崎ー横川間のローカル列車も電車運転になりました。横川駅の場外信号機のあたりを行く横川行のクモハ40単行です。
碓氷川橋梁の上の気動車急行です。この写真の上が横川方面で、ここから約1kmのところに、スイッチバック駅「松井田」がありましたが、電化を機に廃止され、新しい松井田駅がこの鉄橋を渡りきったところに作られました。
新・松井田駅を通過するD51重連(先頭D51124)の貨物列車です。
これらの風景も1年後には見られなくなりました。アブト式ED42、D50、D51は最後の活躍で、EF53なども、そんなに長くはなかったでしょう?
信越本線も電車特急「白山」「あさま」の快走の時代をピークに長野新幹線開通により、横川ー軽井沢間廃止、軽井沢ー篠ノ井間の第3セクター「しなの鉄道」移行などで、往時の面影が無くなってしまいました。発展途上ではありましたが、ファンにとっては良き時代であったのかも知れません。
参考文献
鉄道ピクトリアル1962年8月号、通巻134号 信越本線 高崎ー横川電化工事の概要
(2016-11-8)タイトル更新
(2009-4-8)改訂
(2006-9-10)
このほか、以下の信越本線関係のページがあります。