[その1]で40年前の富山地鉄の概要、地鉄本線・立山線の写真をご覧頂きましたが、[その2]として、富山市内軌道線、笹津線の写真をご覧頂きたいと思います。これに射水線を加えると、地鉄のお話が完了しますが、射水線は殆ど撮っていません。ほんの少しだけ、最後にお話しましょう。

富山市内軌道線 

雪の西町交差点を渡るデ7000形 昭36-2

 

 大雪の中、富山の中心、西町交差点を渡る南富山駅前行7000形、当時は環状線が交差しており、ビューゲルから火花が出ています。西町交差点には7階建の大和(ダイワ)デパート、近くには、総曲輪通りがあり、 市内で最も繁華なところでありました。特に、大和デパートは富山で数少ない戦前からの高層?ビルであり、富山のランドマーク的な存在でした。これが、移転の為、取り壊されているとのことです。歴史的な建造物の少ない富山で、数少ないクラシックな高層建築物でした。惜しいことです。

 

かっての市内線の主役,デ3530形 デ3535 西町ー旅籠町 昭33-7

 

 7000形が導入されるまで、主役であった単車3530形です。呉羽線、大学前行

 

富山市内軌道線、乗換え券

 

 富山市内線は均一料金で乗換券を呉れました。乗換券の路線図を参照し、市内線の運行系統をご説明しましょう。

           本線      富山駅前ー電気ビル前ー西町ー南富山駅前

           環状線     富山駅前ー電気ビル前ー上り立町ー西町ー丸の内ー県庁前ー富山駅前

                    及び、上記の逆周り

           呉羽線     西町ー丸の内ー新富山駅前ー大学前

 

 新富山は大河神通川を渡ったたもとにありますが、その前の安野屋停留所から大学前まで、単線、それ以外は複線で、架線電圧600V、軌間1,067mmです。昭和36年に環状線の中教院前から立山線の不二越駅迄の路線が開通し、呉羽線が延長運転しましたが、寿命は短かったようです。現在は、環状線の西町ー丸の内、西町ー上り立町ー電気ビル前が廃止され、呉羽線は富山駅前より本線の電車が1本おきに延長運転しています。ユニークであったのは、笹津線が南富山から富山駅前迄、射水線が新富山から西町まで、乗り入れていたことです。ラッシュ時は2−3両の連結運転を両線とも行っていましたが、市内線では切り離し続行運転をしていました。最近、富山港線 をトラム化して、市内線に乗り入れる計画があるそうですが、昭和30年代に既にこのような乗り入れ運転を行なっていたのです。この乗り入れ運転も、射水線が昭和36年、笹津線もその後、乗り入れ運転を止めましたが、何故やめたのでしょうか? 

 

        

     デ3510形 デ3518  千歳町車庫  昭33-12            デ3530形 デ3533 環状線 富山駅前  昭33-12        

 

 デ7000形が現われるまで、市内線は全て小さな単車で運転されていました。デ3510形は戦災にあった車両の部品を多く流用し昭和22年から24年にかけて製造され ましたが、側面の腰板が短冊張りの木造であったように覚えています。同じ様なスタイルでデ2510形というものもあったと思いますが、電動機の出力の違いだけのようです。

 デ3530はデ3510形と同じスタイルでしたが、半鋼製の昭和26年日車で新製された単車です。おそらく、最後の新製単車だったのではないかと思います。ブレーキは手動で、大半は普通の丸ハンドルでしたが、デ2510の一部に逆L字型の古典的なハンドルもありました。単車ですが、当時の路面電車の標準的な顔付きをしていましたので、ファンには人気はありませんでしたが、富山市内線というとこの単車を思い出します。ピッチングが大きくラッシュ時、満員の乗客を乗せて走るときは、手動ブレーキの効きも悪く、細かい調整も出来ないようで、停止時電車が前のめりになり、乗客は将棋倒しにならないように必死に何かに捕まりました。乗客も運転手 も大変だったのです。

 

          

    デ7000形 デ7003  南富山駅前 昭33-12        デ5010形 デ5011 南富山 昭33-12

 

 昭和32年に市内線用として初めてのボギー車デ7000形が入りました。都電の8000形に良く似ていますが、8000のような両端のしぼりが無いので、大きく見えます。昭和36年まで、増備され、総勢16両ぐらいになったと思います。本線 に主に運用され、市内線のイメージが大きく変りました。この車は今でも健在です。都電8000形は20年持てばよいという考えの安作りの車であったと思いますが、地鉄デ7000形は長寿です。

 デ5010形は笹津線乗り入れ専用車ですが、富山駅前ー南富山駅前の本線全線を走っていましたので結構市内でも目立ちました。

 

笹津線

 

雪の中を大きなスノープラウをかざして走るデ5016 大沢野町八木山ー敷紡前 昭33-12

 

熊野川橋梁を渡るデ5018   熊野ー伊豆の宮 昭33-7

 

笹津線車内補充券

 

 笹津線は旧富山鉄道の線路跡に建設された路線で、昭和25年9月に南富山ー大久保町、昭和27年8月に大久保町ー地鉄笹津間が開通しました。架線電圧600V、軌間1,067mm、全線単線、タブレット閉塞でした。昭和23年から沿線の大沢野町に住んでいましたので、開通からつぶさに見てきました。笹津のある大沢野町から富山市内までは、未舗装の国道41号線を1時間近くバスに揺られて行きましたので、36分で南富山迄行くことが出来るようになり、大きな朗報でした。昭和28年から3年間富山市内の高校に通学する為、毎日お世話になりました。全線開通まもなく から、富山市内線に乗り入れておりましたので、最寄の大沢野町八木山から市内線の西町迄笹津線デ5010に乗り、市内線の呉羽線デ3510/3530の単車に乗り換え、神通川のほとりの安野屋迄、ほぼ1時間の道のりでした。

 笹津線はデ5010形で、開通時より運転されていました。高床ですが、市内線の安全地帯、笹津線のホームもその高さにあわせて低いので、高い2段ステップが付いていました。一寸妙な感じの車でした。車長12.6m、37kW電動機2台、ダイレクトコントローラーの路面電車仕様の電車でした。ラッシュ時、2-3両連結して走りましたが、全ての電車に運転手が乗り、人間の感覚で強調運転していました。後部の電車の運転手は自連のギャップを見て運転するとのことでしたが、ご苦労なことでした。 後年、間接制御になり、総括運転が出来るようになりましたが、それが実現してから、廃止されるまで、そんなに長い時間ではありませんでした。

 身近な路線でしたので、お話が長くなり、写真も多くあります。デ5010ばかりですがお付き合いください。

 

       豪雪の中1 デ5016  敷紡前  昭33-12               豪雪の中2 デ50102連  大沢野町八木山 昭36-2

 

 富山は豪雪地帯です。特に、山に近い笹津線の沿線は2m近い雪が降ることもありました。除雪は営業列車に大きなスノープラウを付けて行ないましたが、デ5010には一寸重そうでした。

 

   貨車を引くデ5010  大沢野北口  昭33-7                 デキ6502とデ5010の重連 大沢野町八木山   昭33-3

 

 笹津線は貨物営業もやっていました。電気機関車もありましたが、デ5010が貨車を引くこともありました。

荷物を扱うのは大久保町だけであったと思いますので、右上の写真は大久保町から笹津にワムを運ぶところと思います。左上は珍しいデキ6502とデ5010の重連運転です。 

 

    モノトーンのデ5020 地鉄笹津ー敷紡前 昭33-7                デ5000形  デ5001  南富山  昭38-3

 

 レンガ色に近いピンク一色に塗られたことがあります。デ5010はオリジナルとしてはマルーンとアイボリーのツートンカラーで後期、マルーンからライトグリーンになりました。一時、ピンクのモノトーンにしたことがありましたが評判が悪かったのか、直ぐに止めました。デ5010のプロトタイプなのかもしれませんが、呉羽線が大学前より先の五福まであった時に走らせる予定のデ5000形がありました。結局、市内線には走らず、射水線に入っていましたが、何の拍子か、デ5001が笹津線に入ったことがありました。 

 

      デニ6002     南富山    昭33-7                  デキ6502         地鉄笹津   昭33-7

  

 有名な車のようですが、デニ6002というクラシックな電車が南富山でいつもはやることが無く、あくびをしていました。デニといっても、改めて、これを運転するほどの荷物もないようでした。唯一、活躍するのは、大きなスノープラウを付け、雪掻きをする時でした。同じく、暇を持て余していたのは、デキ6502でした。大正14年に川崎造船所で作られた庄川の大牧発電所建設用専用鉄道の機関車であったのですが、600V車であったので、2両の内、1両が笹津線に来たわけです。他の一両は射水線で使われていました。いつも、地鉄笹津か南富山構内に居ました。

 折角、富山鉄道の跡に復活した笹津線でしたが、国道41号線バイパスが整備され、モータリゼーションの大波をまともにかぶり昭和50年3月31日廃止になってしまいました。

 富山迄、車で20分かからないので、笹津線は到底太刀打ちできなくなったのでしょう!

 

射水線・加越能鉄道新湊線

 

射水線車内補充券                    加越能能鉄道伏木線 デ5025 昭34-11

 

  射水線は神通川の対岸の新富山から新湊に行く、元越中電気鉄道の路線で、高床式の電車が走っていましたたが、昭和30年ごろから、笹津線と同じ、デ5010形により、市内線の西町まで、直通運転するようになりました。そして、新湊から高岡軌道線伏木線の米島口までの路線を作り、地鉄高岡迄直通運転するようになりました。 高岡軌道線が加越能鉄道に譲渡されてからも、乗り入れは続きました。両端を併用軌道に乗り入れ、中間が鉄道線という米国のインターアーバンを思わせるものでした。一度、乗りに行きました。その証拠に車内補充券がありましたが、射水線の写真が見つからないのです。唯一枚、高岡軌道線を走るデ5025の写真がありました。笹津線のそれと変らないのですが、本格的な救助網を付けているのが目を引きました。

 射水線は越ノ潟付近に富山新港が出来、海で分断され、そこを渡し舟で連絡という珍奇な目に会い、乗客が減少し、昭和55年4月1日、廃止になりました。越ノ潟から新湊への部分は加越能鉄道に移管され、第3セクター万葉線として、高岡軌道線とともに生き残っています。

 

 (お断り)本文中、西暦と年号が混在しています。最近の事柄は西暦で認識していますが、古いことは昭和で認識しています。無理に西暦に直しますと、何か感じが掴めなくなりますので、タイトル等は西暦と年号を併記しましたが、本文中は年号で記載しました。

 

 

    

 

参考文献

 鉄道ピクトリアル Vol.135 私鉄車両めぐり第3分冊 富山地方鉄道・市内線 

            Vol.211、213、214 私鉄車両めぐり 富山地方鉄道

 

謝辞 

 大阪、箕面市ご在住のIU様から、アドバイス頂き、修正致しました。貴重なご指摘、誠に有難うございました。深謝致します

(2012-8-20)訂補

(2004-10-13)
(2016-9-27)更新



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