大阪ー神戸間は阪神、国鉄、阪急が競走していますが、阪神電車は海側の人口密集地帯を縫って走るせいか?カーブが多く車両限界も小さく、高速都市間鉄道としては不利でした。 しかし、小型ではありますが、強力電動機を備えた電車が100km/h近い速度で阪神間を疾走しておりました。オール電動車編成で踏切が連続している街の中を縫って走る姿は独特のものがありました。この800系電車は競争相手の阪急900形に比べ、約3m短く、幅は約40cm狭く、大阪市電1701形とほぼ同じ大きさというコンパクトなものでした。

しかし、車両限界も改良され、1954年(昭和29年)に直角カルダン駆動でクロスシートを備えた大型の3011系特急が阪神間を25分間で走破し、続いて急行用の大型車3501形も作られ、各停用高加減速高性能大型車5201形(ジェットカー)も就役して、小型車の去就が注目されるようになりました。

 この小型車の活躍を目に留めておきたいと思ったのでしょう。

 1962年(昭和37年)の4月14日、土曜日の夜行で、大阪に行きました。

 

発車を待つ急行神戸元町行 827(先頭) 梅田 1962-4-15

 

 阪神梅田駅の4番線には小型車801形を先頭とした急行が客を待っていました。

 

827車内   梅田 1962-4-15

 

 801形の車内です。大阪市電1701形とほぼ同じと述べましたが、実際には幅は約10cm狭いのです。座席間には2列ぐらいしか立てないようでした。

 高速運転用小型車800系は未だ全ての顔ぶれが揃っており、急行などに活躍していました。

 45年前に活躍していた阪神電車を紹介致しましょう。モノクロ写真だけですが、比較的大きな画像で見て頂きましょう。

 

801形

 

 阪急神戸線と対抗する為、1926年(大正15年)に高速運転用801形を完成させました。前面たまご形5枚窓、貫通扉付で長さ約14m、幅2.3mの小型車でしたが、65HP(48.75kW)の電動機4台を持ち、100km/hを越える速度で走ることの出来る 半鋼製電車でした。コントローラとブレーキ弁が貫通扉の両横にあり、運転手が両手を広げて運転しましたので、”ドラムマン”と呼ばれていたようです。 貫通扉の前に座り、腕を大きく広げて、運転していたのを想像すると愉快ですね。

 

801形 819(後尾)   西宮       1962-4-15

 

801形 829(後尾) 甲子園臨時列車   野田         1962-4-15

 

 当日、1962年(昭和37年)4月15日は阪神ー巨人線のダブルヘッダーが甲子園であり、臨時列車が運転されていました。829が付けているトレーンマークの「TB 5」はThird Base man -三塁手で、5はスコアなどで表示される三塁手の位置で、高校野球の場合、三塁手の背番号でもあるとのことです。 このトレーンマークは運行順序などには関係なく、「臨時」を表示している電車もありました。

 臨時電車は甲子園駅の先まで、回送し、そこから順次折り返し、甲子園駅から梅田行臨時になると聞いたことがあります。西宮で見た819はその回送かもしれません。

 試合の結果は

  第1試合 4対2で阪神の勝、勝ち投手 小山

  第2試合 2対1で阪神の勝、勝ち投手 村山

でした。 この年1962年はタイガースが2リーグ制になってから、初めてのリーグ優勝した記念すべき年でした。 村山、小山の両エースが活躍した往年の黄金時代の一つであったようです。 

831形 

 

831形 839(後尾)  甲子園         1962-4-15

 

 1928年(昭和3年)製の831形は正面3枚窓になりました。

 

 

831形 844(先頭) 甲子園臨時列車            1962-4-15

 

 831形の中で戦災などで消失した電車は851形などと同じ、2つ折り戸の貫通扉を持つ前面になりました。844もその一つでした。これも甲子園臨時で「PH 10」はPinch Hitter 背番号10を意味するようです。

 

851形

 

 1936年(昭和11年)神戸元町延長時、登場した851形は下部までガラスが入った2つ折で、斜めの長いてすりが付いた貫通扉は、サロンか、喫茶店のドアを連想させるユニークなものになりました。 このため”喫茶店”などと呼ばれていたようです。片隅運転台で、曲面ガラスの入ったR状の扉が付けられ、中間に入った場合、この扉で運転機器を覆い、運転室のスペースにも客が乗れるようになっていました。2扉になり、側面、幕板には明り窓が設けられました。

 

851形 853(後尾)     甲子園         1962-4-15

 
861形

 

 1938年(昭和13年)に梅田地下駅完成目前に作られたのが861型で、851とほぼ同じスタイルでした が外板が全溶接構造になり、リベットは無くなり、よりすっきりとした電車になったようです。この861形が阪神小型車の最高傑作といわれているようです。

 

861形 867(先頭) 甲子園臨時列車   野田         1962-4-15

 

861形 870(先頭)   西宮        1962-4-15

 

881形

 

 太平洋戦争が拡大する中の1941年(昭和16年)から、増大する軍需工場の工員輸送のの為、30両も作られたものです。「喫茶店」貫通扉は残りましたが、幕板の明り窓は無くなり、ヘッダー、ウインドシルが太く、平たくなり 、国鉄、他の私鉄で同時期に作った車との共通点もいくつか見受けられるようです。

 

881形 885(後尾)   西宮        1962-4-15

 

 

881形 888(後尾)   西宮        1962-4-15

 

881形 892(後尾)と900(先頭)   西宮        1962-4-15

 

881形車内 1962-4-15

 

 851形から2扉になりましたので、車内の居住性は良くなったようです。

 

 801形、831形は長さ、約14m、851形以降は14.3mと少しの違いはありましたが、電動機出力、台数は同じで、これらの形式が混結されて走っていました。訪れた時は殆ど5両編成でした。

 

 このように、1962年当時は小型車も主に急行に使われており、訪れた日は甲子園輸送の臨時便にもたくさん充当され、大活躍しておりました。

 その後、大型車の増備により、急速に姿を消し、翌1963年には801形、831形の廃車が始まり、1964年には851形の廃車も始まり、1967年(昭和42年)には阪神から小型車は完全に居なくなってしまいました。

 1121形

 

 木造車の鋼体化改造車として、1934(昭和9年)に作られた小型車で、長さ、13.2mと800系より更に小さい電車で、電動機も50HP(37.5kW)、4台で、800系の高速運転用より、非力で、大物ー千鳥橋間の伝法線(現西大阪線)で使われていました。

 

1121形 1132(後尾)   大物ー尼崎        1962-4-15

 

1121形 1137(先頭)   大物ー尼崎        1962-4-15

 

伝法線は本線との連絡駅の大物駅と千鳥橋間で営業運転をしていましたが、複線の線路は尼崎車庫まであり、電車は車庫まで行き、折り返していたようです。

 

3011形

 

 1954年(昭和29年)に完成した阪神初の車長19mの大型車で、直角カルダン駆動の高性能車でした。前面非貫通2枚窓、軽量セミモノコック構造の全金属製で、セミクロスシートを備え、ノンストップ特急に使われました。最高速度110km/hで、阪神間25分運転と戦前の阪急のうたい文句を 阪神電車も実現しました。

 阪神電車としては歴史に残る電車ではありましたが、1960年(昭和35年)に特急の運転間隔を20分から10分に短縮して、途中駅に停車するようになり、3300形、3500形が主に使われるようになりました。訪れた1962年には急行に使われることが多かったようですが 、未だ、原型を留めておりました。2年後には、貫通扉付、ロングシートの3561形に改造されてしまいました。

阪神電車の歴史的な電車も10年余りで、姿を消してしまいました。阪神伝統の全電動車編成で、59.7kW電動機4台を備えていました。

 

3011形 3012(先頭) 甲子園臨時列車   杭瀬ー大物         1962-4-15

 

 

3011形 3031(先頭)    尼崎ー大物         1962-4-15

 

 

3011形 3032(先頭)    甲子園         1962-4-15

 

 

3011形 3041(先頭)  特急梅田行   御影        1962-10-15

 

 珍しく、特急運用に入った姿です。

3501形

 

 1958年(昭和33年)に登場した赤胴車と呼ばれた貫通扉付前面、ロングシート、直角カルダンの高性能車で、急行用として作られ、特急用3011形のクリームとチョコレート色の塗り分けに対し、クリームと朱色の塗りわけであったので、赤胴車と呼ばれました。しかし、1960年に特急が西宮、芦屋、御影停車で10分間隔運転になるに伴い、特急に使われるようになり、3011形の座を奪いました。この電車も全電動車運転で、60kW電動機、4台を装備しておりました。

 この電車はその後、長い間の阪神電車のスタイルを作ったようです。

 

3501形 3503(先頭)   西宮        1962-4-15

 

 

3501形 3511(先頭)   西宮        1962-4-15

  

5201形

 

 各駅停車の電車を特急、急行の運行を乱さないように急加減速運転 が出来るジェットカーの量産車です。高速電動機、大きなギヤー比の直角カルダンドライブを適用することにより、高加減速を実現しました。3501形より大きい75KW電動機、4台を装荷した電動車 の2両ないし3両編成で全ての普通電車に充当されていました。

 

5201形 5207(後尾)   西宮        1962-4-15

 

 塗色はクリームとブルーの塗りわけで、急行、特急と区別しています。普通車は行先方向板もありませんでした。

 

5201形 5201(後尾)   西宮        1962-4-15

 

 5201+5202だけ汽車会社製のステンレスカーで、「ジェットシルバー」と呼ばれていました。

 

801形 815(後尾) 阪神三宮  1958-7-12  3011形 3041 特急 阪神三宮  1958-7-12

 

1958年(昭和33年)夏に訪れた時には、3011型は原型の特急マークをつけ、活躍していました。急行の表示板も変わり、わずか、4年で阪神電車の様子もかなり、変わりました。

しかし、 小型車が最後の活躍を見せ、最初の高性能大型特急電車3011も原型を留めておりました。歴史に残る画期的な ジェットカーもフル運用されてており、鉄道ファンには楽しい時期でした。

これから、2年を待たず、小型車は本線上から居なくなってしまいました。

訪問した直後に長い阪神の伝統の全電動車方式を変えたMT編成の電車が登場し、やがて、架線電圧もDC1500Vに昇圧し、阪神電車の新しい時代を迎えることになりました。

 

謝辞

 「なにわ」さま、「むーさん」さま、T.Nさんから本ページ作成に当たり、貴重な情報を頂きました。

 謝意を表したいと思います。

 

参考文献

  鉄道ピクトリアル 1966年2月、4月号 通巻180,182 私鉄車両めぐり[66]阪神電気鉄道

 

(2008-8-20)
(2016-10-25)タイトル改訂


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