神岡軌道

三井金属鉱業 神岡鉄道1958年)

 

現在、第3セクターの神岡鉄道の走っている高山本線猪谷より神岡鉱山まで、かって、軌間610mm(2フィート)のミニ鉄道、神岡軌道(三井金属鉱業,神岡鉄道)が走っていました。神岡鉄道の前身、国鉄神岡線開通を機に1967年(昭和42年)3月27日に廃止になりました。(第3セクター神岡鉄道も2006年12月1日に廃止になりました。−2009/6/1追記)

 東京の大学に入学し、鉄道研究会に誘われ、入りましたが、富山で過ごした高校時代は鉄道趣味などと言うものがおおやけに認知されているものとは知らず、いい歳をして,鉄道が好きなどと言うのは幼児のようで、やや恥ずかしいような気がしておりました。岐阜の山中の神岡鉱山まで、トロッコのような鉄道があると聞きました が、トロッコは鉄道趣味の範疇には入らないと考え、余り、積極的ではありません でした。産業用トロッコは鉄道趣味の一つのジャンルになっており、熱心な方もたくさんおられますが、鉄道ファンとして、ものごころがつき始めた頃ですので、お許しください。ともあれ、家から左程遠くない事もあり、1958年(昭和33年)の春休みに帰省した時、行ってみることにしました。

4月8日、最寄の高山本線笹津駅より、C11が牽引するオハ61、4両編成の列車に乗りました。

 

高山本線は風の盆で有名な越中八尾、次の笹津までは富山平野をひた走りますが、そこから神通川に沿って、山中に入ります。猪谷は笹津から2つ目の駅で、岐阜との県境の駅です。ここから、神岡軌道は出ています。この鉄道は明治43年創業の馬車鉄道に始まり、初めは、笹津から出ていたようですが、昭和6年の高山線開通で、猪谷駅に乗り入れました。事業主体も何度か変り、その名前も変りましたが、最後は三井金属鉱業神岡鉄道となったようです 。ここでは現在の神岡鉄道と紛らわしいので、タイトルを神岡軌道としました。

猪谷ー神岡町、23.9km、軌間610mmの鉄道で、神通川の支流高原川に沿って、2時間かけて走ります。

猪谷駅に着いて暫らくすると、神通川を渡って列車がきました。無蓋車4両と客車7両、再後尾に緩急車をつけた列車を6tディゼル機関車1両で牽引しています。

神通川にかかる大橋梁を渡る混合列車                          

 この鉄道の最大の見所は猪谷駅の手前で渡る神通川大橋梁です。このあたりでは神通川は峡谷をなしており、目もくらむ高さの長大橋梁です。トロッコ鉄道がこのような大橋梁をよく作れたものと思いますが、神岡鉱山の輸送需要が大きかったのでしょう。

神岡軌道の猪谷駅は国鉄駅の神通川寄りにあり、小さな車両がいました。

6tディゼル機関車

 森林鉄道用 のデイゼル機関車だと思います。軌間は馬車鉄道の時代は多くの軽便鉄道が採用した762mm(2フィート6インチ)であったのを動力車を入れる時、610mm(2フィート)に改軌したようです。機関車を始めとした森林鉄道用の車両を使う為だったのでしょうか?

客車

                                    

定員18名の小さな客車です。 これも、森林鉄道に良くあるタイプではないかと思います。 グリーンとクリームのツートンカラーでした。片側は2D2の窓配置で、真ん中にドア-が一つあります。それでも、ボギー車でした。

 

有蓋貨車                                      

 縦長の車でなんとなく不安定な感じがします。鉱石を運ぶ無蓋車に比べ、有蓋車は数が少なかったようです。

 

無蓋貨車                                 

 

 国鉄のトムの横の可愛らしい神岡軌道の無蓋貨車。この貨車をクレーンのようなもので吊り上げ、鉱石を国鉄貨車に直接、あけていたような記憶があります。

 

  先の列車が貨車を切り離し、客車を増結して、13時37分発最終神岡町行きとなりました。この時間で最終とは驚きですが、猪谷からの旅客列車は6時50分発、10時5分発とこの列車の3本しかありません。神岡まで、行けませんが、神岡からの最終列車が途中の土(ど)で交換するとのことで、土迄乗ってみることにしました。車内はロングシートで、座ると向かいの人と膝が触れる程狭く、通路の通行は不可能に近い。両端に笠の付いた電球があります。窓は2段上昇ですが、下しか開きません。

 

車内                                 

 

棚田                                 

 

 大鉄橋を渡るとしばらく、山腹に広がる棚田が車窓に広がります。

 トンネルを1つくぐると東猪谷で、高さ、幅とも30センチ程のホームがあるだけの駅ですが、側線にたくさんのタンク車がありました。

 眼下に神通川の支流、高原川の深い谷を見下ろしながら、列車は登ってゆきます。

 

東猪谷ー茂住間を行く列車

 

数えきれないほど、トンネルをくぐり、30分程で、茂住に到着しました。ここには鉱山があるようで、ネコの額のようなところに、鉱山設備、倉庫、駅、学校、商店、映画館などがひしめき合っていました。列車はそれらの軒下をかすめて行きます。驚いたことに、車掌が膝と膝の間を掻き分けて、検札にきました。乗り越しにはちゃんと車内補充券をきってくれます。

 土に到着しました。

 

土駅

 

  

土駅の猪谷行上り列車

 

 猪谷行き列車は既に到着していました。乗り移り、ホッとしましたが、その車には人相の悪いズンドコ(冨山弁で不良、ならず者)が3人座席に横になり高いびきをかいて寝ていました。鉱山町にはこの種の人物も入り込んでいたのでしょう。座るところもなく、気味が悪いので、茂住で、車を移りました。

 16時ジャストに猪谷駅に到着。約1時間この暮れなずむ山間の駅で、小さな車両とともに過ごし、行きと同じC11牽引した列車で、笹津に戻りました。

 この鉄道はこれから約10年後、廃止になりました。その当時から、国鉄神岡線建設の話があり、いずれ廃止になる運命にあることは知っていましたが、最もアクセスに便利なところに親の家がありながら遂に再訪はしませんでした。

 最後に、当時の高山本線の笹津付近を走る列車をご覧頂きたいと思います。

 

笹津駅を猪谷方面に向かって発車するC58牽引,岐阜行旅客列車

 

神通峡にかかる鉄橋を渡り笹津に向かうC11牽引,冨山行ローカル列車

 

 当時、高山本線は直通旅客列車はC58、冨山ー猪谷間などのローカルはC11、貨物列車は9600が牽いていました。笹津で冨山平野は終わり、神通川の渓谷に沿って、山間を走ります。笹津を発車した列車は神通峡と称するようになる神通川の渓谷を鉄橋で渡り、冨山平野に決別し、険しい山間に分け入ります。蒸気機関車の時代は特に印象的でした。

 

 48年前に気まぐれで行った神岡軌道訪問の詳細は思い出せませんでしたが、友人Mさんがその時の鉄道研究会機関紙に載せた小生のメモを見つけてくれました。それを参照して、手を加えましたので、再度、ご覧頂きたいと思います。

 最後になりますが、Mさんに感謝の意を表したいと思います。

 当時、撮影したフィルムが見つかりましたので、5枚の画像を追加しました。又、撮影年を1957年としておりましたが、精査の結果、1958年に訂正しました。

 (2004-9-21)

加筆改定(2005-1-25)

加筆再改定(2009-6-1)


軽便鉄道シリーズ

 狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)


(トップページ)(別館)

          (本館)