金沢は北陸の中心的な都市で、少年期,冨山で過ごした身にはいろいろ思い入れのあるところです。最近のように交通が便利でなかったので、頻繁に遊びに行くということは無かったのですが、医療の面では高度な治療が必要な場合は、金沢まで行く必要がありました。特に、金沢大学付属病院(金大病院)は40年前には北陸唯一の大学病院で、母が入院した時は頻繁に通いました。市内線の1系統の終点、小立野(コタツノ)に金大病院はありましたので、金沢駅からは必ず、市内線のお世話になりました。6系統まであり、ダークグリーンの単車、道が狭い為、両端がすこし絞られてはいますがスマートなボギー車が頻繁に走り、都会の雰囲気をかもし出していました。

 宮さん、むーさんのご協力で、カラー写真2枚を「むーさんの鉄道風景」から転載させて頂きました。(2006-5、7)

 米さん撮影の画像3枚を掲載させて頂きました。(2009-4-16)
 東金沢近くの専用線で、この線区の廃止間際の1966年(昭和41年)2月に米さんが写された単車306のカラー写真が見つかりました。この写真に対する米さんのコメントも併せて載せました。また、画像をすこし大きく致しました。(2016-3-25)

 琴平参宮鉄道(琴参)のデハ81形を譲受、改造した2060形2062の写真を米さんから提供頂きましたので、追加掲載いたしました。(2016-4-1)


これは当時発行されていた乗換券です。この路線図を見ながら、当時の運行系統を思い出しましょう。

 

           1系統 金沢駅ー武蔵(武蔵が辻)−橋場(橋場町)−兼六園下ー小立野

           2系統 金沢駅ー武蔵(武蔵が辻)ー香林坊ー広小路(野町広小路)−寺町

           3系統 小立野−兼六園下ー香林坊ー広小路(野町広小路)ー野町駅

           4系統 野町駅ー広小路(野町広小路)ー武蔵(武蔵が辻)−橋場(橋場町)−鳴和

           5系統 寺町ー香林坊−兼六園下−橋場(橋場町)−鳴和ー東金沢駅

           6系統 兼六園下−香林坊ー武蔵(武蔵が辻)−金沢駅

             (  )内は正式停留所名

 

金沢の繁華街は香林坊、片町そして武蔵が辻です。これらの街を経由する系統が多くなっています。

電車は大きく分けて、200、300形の単車と2000、2050、2100、2200、2300形のボギー車でした。

 

電車のプロフィール

200形 昭和6,7年製の半鋼製単車で、4両ありました。初めての半鋼製の電車とのことです。

 

300/310形 昭和17年から、木造単車の鋼体化更新したもので、スタイルは200形と殆ど変りません。

         20両ありました。315〜20は乗り心地が異常であったため、昭和34年頃までに廃車になりました。

 

2000形 最初の半鋼製ボギー車で昭和24年から10両作られました。金沢タイプの顔付き、体型などはこの

       車で決まったようです。

 

2050形 自社発注車両が殆どの金沢市内線で唯一の前歴のある電車です。昭和4年製の武蔵中央電気鉄

      道の電車で2051、一両だけです。

2060形 1963年(昭和38年)に廃止された琴平参宮鉄道(琴参)のデハ80形、デハ81、83を譲受、改造
       したものです。 

 

2100形 昭和26年から12両作られた半鋼製ボギー車です。車掌がいる扉は車両の真中になり、屋根が張り上

      げになり軽快な感じになりました。2000形は近畿車両で10両製作しましたが、2100形は広瀬車両で

      同じ予算で12両作ることが出来たとのことです。

 

2200形 昭和31年から6両新製されたもので、2100より顔つきは少し軽快になったようですが、大きくは変り

       ませんでした。むしろ、今までに車両は電動機が2×50PSであったものを4×30PSに変ったのが

       特筆されます。路面電車で4個モーターは珍しいと思いますが、冬季の積雪対策でしょうか?

       2201〜5は半鋼製、2206は全鋼製でした。

 

2300形 昭和36年に2両製作された金沢市内線最後の電車です。2200形(2206)と基本的には変りませんが、

      弾性車輪、コロ軸受け、オイルダンパー等を設けた近代的な台車をを履いています。

      しかし、吊り掛け駆動でした。

      廃止後、豊橋鉄道に行きましたが、その後、2両共鉄道技研で架線レストラムのテスト車に使われました。

 

 昭和35年(1960年)〜昭和41年(1966年)の金沢の街角を走る金沢市内線の電車をご覧下さい。

 

金沢駅前

 

金沢駅前を行く2302     昭和38年9月

 

ループ区間を行く2106  昭和38年9月

金沢駅前はループになっており、白銀町→英町→金沢駅→白銀町と電車は辿り、折り返して行きました。これは日本の路面電車では珍しいものでした。

武蔵が辻

4系統鳴和行2112 武蔵が辻   昭和38年9月

 

武蔵が辻は三叉路になっており、香林坊・片町方面と橋場町方面の分岐点です。デパートや有名な近江町市場もあり、片町に次ぐ繁華街です。写真の4系統2112は橋場町に向かい、左に行くと香林坊、右に行くと金沢駅で交通の要衝です。ボギー車は2112のような茶系統とアイボリーのツートンカラーでしたが、2300が出現したのに伴い、ピンク系に変えたようです。

 

4系統野町駅行2203 橋場町ー武蔵が辻  昭和38年9月

中屋 混元丹

2系統寺町行2002 南町  昭和42年1月7日 米さん撮影

 

 武蔵が辻と香林坊の中間の南町電停近くに漢方薬、混元丹の中屋がありました。

香林坊・片町

5系統寺町行204   片町  昭和38年9月

4系統野町駅行205 南町ー尾山神社前 昭和38年9月

 金沢の中心街を走る単車204、205です。ダークグリーンの塗色は古都に良く似合い、ボギー車と同じ、ツートンカラーにしなかったのは、金沢の伝統的な美意識があるからでしょうか?単車は支線的な 4、5系統に主に入っていたようです。

4系統野町駅行2102 尾山神社前ー香林坊 昭和38年9月

 

武蔵が辻から香林坊交差点の間は銀行などが立ち並ぶ金沢のビジネス街です。狭い道路に電車・バス・車がひしめき合っています。

野町広小路

4系統野町駅行2201 野町広小路  昭和42年1月7日 米さん撮影

 

 香林坊、片町から犀川大橋を渡ると野町広小路交差点に達します。上の写真の右は犀川大橋から片町へ、左は野町駅、手前は寺町方向です。左手前の電車は2系統金沢駅行と思われます。

寺町

2系統金沢駅行2008 寺町2丁目ー3丁目  昭和41年5月

 

5系統東金沢駅行320 寺町付近    宮さん撮影「むーさんの鉄道風景」より転載 

 

 片町から犀川大橋を渡り、野町広小路から左折すると寺町です。多くのお寺が立ち並んでおり、静かな雰囲気でした。寺町は2系統、5系統の終点でした。

野町駅前

 

4系統鳴和行2301 野町駅前 昭和38年9月

 

4系統鳴和行2006 野町駅前 昭和41年12月24日 米さん撮影

 

 鶴来、白山下に行く北鉄石川総線の野町駅前迄、3系統、4系統は運行されていました。金沢の始発駅はこの当時、すこし、片町よりの白菊町でしたが、 市内線との乗換はこの野町駅で行ないました。この後、白菊町は貨物扱いのみとなり、やがて、野町ー白菊町は廃止になり、野町駅は名実ともに始発駅になりました。

鳴和

4系統野町駅前行2301  鳴和 昭和38年9月

 橋場町から浅野川大橋を渡り、鳴和で複線併用軌道は終わります。4系統の終点で、当時金沢市街の東端でした。5系統はこれから更に単線専用軌道を東進し、東金沢駅に達します。

5系統東金沢発寺町行2051  鳴和 昭和38年9月

このごつい電車は金沢市内線の異端児でした。京王線の前身の武蔵中央電気鉄道の電車で、北鉄金石線を経て市内線に来ました。2051、1両だけです。5系統に入ることが多かったようです。

東金沢


5系統東金沢行 306  東金沢〜大樋口  昭和41年2月 米さん撮影

 鳴和から専用線になり、大樋口、東金沢終点に達しました。この区間は1966年(昭和41年)2月28日に他の線区より早く廃止になりました。この電車の方向幕は「寺町」になっておりますが、東金沢到着前に運転士が変えたようです。
 300形はピッチングが激しい為に単車では珍しく、板バネの箇所にオイルダンパーを4本取り付けピッチングを少なくしました。

兼六園下

香林坊の三叉路を県庁の方に曲がると、片町、香林坊のにぎやかな街から、周囲には公園が広がります。更に兼六園に沿って左折しますと、金沢城公園と兼六園の谷間を電車は走ります。 緑の樹木の中を電車ははしり、ヨーロッパのトラムの雰囲気がありました。

公園に沿って走る2003   県庁前 昭和33年7月

 

金沢城公園と兼六園の谷間を行く3系統小立野行312 県庁前ー公園下 昭和33年7月

 

兼六園と金沢城公園を結ぶ石作りのアーチ橋の下を電車はくぐります。

 

金沢城公園と兼六園の谷間を行く3系統小立野行315 公園下ー県庁前 昭和33年7月

 

公園の樹木が茂り、電車にとどきそうです。単車の緑と同化しそうです。

 

金沢城公園と兼六園の谷間を行く2系統?2202 公園下ー県庁前 昭和33年7月

 

上の写真の向かって左が兼六園、右が金沢城公園で、見渡す限り、緑の林で、建物は見えません。

2系統は金沢駅から武蔵が辻、片町経由寺町行でここを通るはずが無いのですが走っていました。兼六園下の車庫からの回送電車でしょうか?

公園下   宮さん撮影「むーさんの鉄道風景」より転載 

 

 兼六園と金沢城公園の谷間を走ってきた電車は当時、北鉄本社があった兼六園下停留所に達します。ここは、橋場方面からの線路と交わる三叉路で、上の写真の左に分岐している線路は兼六坂を登り、小立野に達するもので、3系統が走ります。この写真は北鉄本社から道路一本隔てた労組の建物、北陸会館から撮ったもののようです。

兼六坂(尻垂坂)

1系統と3系統は車庫のある公園下から兼六園に沿って、小立野台地を登ります。長く、急な兼六坂です。本当は尻垂坂というのだそうですが、余り、きれいな感じではないので、兼六坂にしたようです。

兼六坂を下る3系統野町駅2103 出羽ー兼六園下 昭和33年7月

 

兼六園下から、左にカーブして、長い直進の坂に取り付きます。車窓右側には兼六園の石垣、左には金沢市街が一寸、見渡せます。

兼六坂を登る1系統小立野行 2102 出羽ー兼六園下 昭和33年7月

 

坂を登りきる前に右にカーブします。

 

兼六坂を登りきった3系統小立野駅2111 出羽ー兼六園下  昭和33年7月

 

更に左にカーブして、坂を登りきります。

 

兼六坂をこれから下る1系統金沢駅行2106 出羽   昭和33年7月

 

坂を登りきると左側に立派な土塀が続きます。国立金沢病院です。坂を下る前に電車はブレーキテストを行ないます。これから、終点、小立野まで、平坦な道を走ります。 

兼六坂では1965年(昭和40年)6月24日単車300形が暴走事故を起こし、それ以降、単車は兼六坂を登らなくなりました。

琴参から来た電車


2系統寺町行 2062        金沢駅前   昭和39年9月 米さん撮影
 
1963年(昭和38年)に廃止になった四国の琴平参宮電鉄(琴参)からデハ80形、デハ81,83を譲受し、旧能美線寺井車庫で、金沢市内線の狭い道を走れるように大幅に改造した2060形、2061、2062がありました。走った期間が短かったため、その姿はほとんど残っておりませんでしたが、米さんが奇跡的に撮影されていた写真を提供頂きました。

 


大物車(チキ)に乗せられ回送されてきた琴参デハ81    本寺井   昭和38年10月 米さん撮影

 はるばる四国から運ばれて来た琴参デハ81です。2062になりました。両端を絞り、2枚引き戸に改造され、金沢市内線スタイルになりましたが、高い乗降用ステップを持った高床車であったので、金沢ではあまり評判が良くなかったそうです。

北鉄金沢市内線は加賀百万石の城下町の狭い道をぬい、緑濃い公園の中を走り、急坂を登る魅力一杯のトラムでした。

残念ながら、1967年(昭和42年)2月10日に全線廃止になりました。狭い道での交通渋滞などもその廃止に拍車をかけたようです。

近代的なLRVを走らせたら似合うだろうな〜と、未だに残念に思います。

 

金沢市内電車営業廃止記念乗車券

 

参考文献

 鉄道ピクトリアル Vol.135 私鉄車両めぐり<第3分冊> 北陸鉄道 金沢市内線

 

謝意

 このページを作成するにあたり、地元の友人、米さんに多くの情報、アドバイスを頂きました。謝意を表したいと思います。

 TKさんよりご指摘頂き、「兼六園下」の項の2枚目の写真の説明を訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
 改訂5,6に当たり、金沢在住の米さん、石鉄さんからご協力を頂きました。謝意を表したいと思います。

 

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