頚城鉄道ー1958年(昭和33年)

 頚城鉄道という小さな鉄道が、新潟県の頚城(くびき)平野を走っていました。信越本線直江津から柏崎寄りの一つ目の黒井駅前の新黒井より東頚城郡の入口、浦川原までの15kmの軽便鉄道です。軌間は多くの軽便鉄道と同じ762mm(2フィート6インチ)です。高田、直江津(現在の上越市)を中心とした穀倉地帯、頚城平野の広がる中頚城郡に比べ、東頚城郡は山がちで、鉄道のない僻地でした。この地方の足として,作られたのが頚城鉄道でした。他の軽便鉄道と同じ運命をご多分に漏れず辿り、1971年4月に廃止になりました。

 1958年10月15日、所用で、富山に帰るとき、寄り道をして、一寸、顔を見てきました。一泊する時間もありませんでしたので、この鉄道の車庫のある百間町まで行き、その当時から、ファンの間で有名であった小さな蒸気機関車コッペル2号を拝み、とんぼ返りで、富山に向かいました。

新黒井駅で発車を待つ列車

 信越本線黒井駅前の新黒井駅から頚城鉄道は出ていました。新黒井駅は意外にも2階建ての洋館でしたが、ホームには木造の有蓋貨車といかにも軽便の雰囲気があるボギー客車3両が入換え用か、保線用に使用していそうな小さなディーゼル機関車を先頭に発車を待っていました。切符を求め、早速乗りました。

 

 百間町まではひたすら、収穫の済んだ田んぼの中を走りました。目指すコッペル2号は車庫の中で、扉も閉められており、真っ暗で写真を撮ることは不可能でした。がっかりしていると、工場の人が、外に出してやろうと言われたのです。程なく、ディゼルカーで牽引 され、車庫から現われました。感謝!、感謝!でした。その当時でも1ファンの為に、車庫から車両を移動するなどと言うのは考えられないことでした。

コッペル2号

コッペル2号の顔

 思っていたように小さなかわいい蒸気機関車でした。この当時でも、営業列車はディーゼル機関車牽引か、ディゼルカーになっていましたが、コッペル2号は車庫の中で、大事に保管されているようでした。この機関車は後に西武山口線のおとぎ列車を牽くことになりました。

DL,DC92牽引の上り列車、新黒井行き 百間町

 上り、新黒井行きのミキストがやってきました。収穫した稲をハサ?にかけて、干しています。今では見られない風景です。しかし、線路は草に埋もれています。

 

名物ディゼルカー、ホジ3

 途中駅で、この鉄道の当時の顔であるディゼルカー、ホジ3と行き違いました。完全、逆光で極めて状態の悪い画像ですが、この鉄道のリポートにはこの顔は欠かせないと思いましたので、あえて、載せました。

 

 これだけです。このとき撮ったのは!、今一度、訪問しようと思いながら果たせませんでした。

45年前のある軽便のヒトコマでした。

(2004-9-21)


 金沢の友人、Yさんから1966年8月に撮影した画像を提供頂きました。私が訪問した8年後ですが、車両は余り変わっていないようです。1968年9月に部分廃止、1971年4月には全廃されましたので、このときは既に廃止の動きも表面化した時期と思われます。

 

草むらの中を行くDL、DB81牽引の混合列車

 

同じ列車の後部

 

飯室駅で出発を待つ列車

 

客車ホハ5?の車内

 

唯一のディゼルカー、ホジ3の車内 有名なエンジンルームの車内の突起が見えます。

 

頚城鉄道の廃線跡の探索は

  「歩鉄の達人」「廃線探索 頚城鉄道」

をご覧頂きたいと思います。

(2005-4-1)

(2011-1-17)訂


軽便鉄道シリーズ

 狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)

                                (610mmゲージ)


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