1961年(昭和36年)7月8日(土)友人のMiさんと東京駅から普通夜行列車に乗り、豊橋に向かいました。この年の5月に完成した名鉄のパノラマカーが主な目的でした。友人Muさんも急行で、豊橋に先乗りし、3名で先ず、名鉄名古屋本線の伊奈駅で、パノラマカーに会いました。その後、名古屋に向かい、名古屋市電、名鉄瀬戸線を訪れ、帰途、名鉄岡崎市内線を訪れました。廃止のうわさがあったので、一目見ておきたかったのです。
モ50形 モ51 岡崎駅前 1961-7-9
国鉄岡崎駅前に由緒がありそうな堂々たる建物の市内線の駅舎がありました。岡崎市内線は岡崎駅前から名鉄東岡崎駅前を経て大樹寺まで6.3kmの併用軌道で、市の中心部のみ複線でした。ここから、逆方向に専用線で福岡町に達する2.5kmの福岡線もあったようです。
電車は単車(4輪車)が殆どでした。
モ50形 モ50 1961-7-9
当時は岐阜市内線から転籍したモ50形が主力でした。明治末期から大正初期に作られた古い木造単車でしたが、丸屋根でした。高床車で、高いステップで乗客は道路から直接乗り降りしていました。
モ50形 モ54 1961-7-9
高床車の為、大きさの割には背が高く、なにか、背伸びをしているような電車でした。
モ50形 モ56 東岡崎駅前 1961-7-9
モ50形 モ60 東岡崎駅前 1961-7-9
名鉄名古屋本線の下をくぐり、東岡崎駅前です。
モ65形 モ65 1961-7-9
モ65形という電車もありましたが、モ50形と余り変わりません。隣を走っている名鉄バスは電車より大きく、バスにとても対抗出来そうににはありません。
モ20形 モ23 岡崎駅前 1961-7-9
モ23の顔 車庫 1961-7-9 モ23の車内 車庫 1961-7-9
モ20形モ23というダブルルーフのよりクラシックなスタイルの電車がおりました。岡崎市内線にはかって、京都のN電を譲受して、走っていたようですが、既に廃車になったようで、この電車は違うようでした。
訪問から1年後の1962年(昭和37年)6月には廃止になりました。
豊橋鉄道市内線
豊橋鉄道市内線にも一寸お目にかかりました。市民病院前ー豊橋駅前ー競輪場前ー赤岩口の東田本線5.5kmと新川ー柳生橋間の柳生橋支線0.9kmがあり、市民病院前ー競輪場前の運転が多かったようです。
モハ300形 モハ302 1961-7-9
こちらも単車が主力でした。モハ300形は元名古屋市電の木造単車です。ダブルルーフの低床車で、纏まったスタイルをしていました。
モハ500形 モハ511 1961-7-9
モハ500形は同じく、元名古屋市電の単車で、木造車を鋼体化改造したものです。単車ながら、大きな2段上昇窓で、軽快な名古屋市電のスタイルをしていました。
モハ602形 モハ602 1961-7-9
モハ600形はこの年1月に廃止になった三重交通神都線の540形を譲り受け、営業運転を開始したばかりの電車でした。当線唯一の半鋼製ボギー車でした。アザラシのヒゲのような排障器は三重交通時代からのものでしょうか?
参考文献
鉄道ピクトリアル 1961年7月号Vol.20 私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道(補遺)
鉄道ピクトリアル 臨時増刊 Vol.28 私鉄車両めぐり<第2分冊> 豊橋鉄道
(2007-5-20)
(2016-11-1)タイトル更新