1961年(昭和36年)5月に颯爽と登場したパノラマカーを目的に7月に友人と名古屋に行きました。その足で何故か?瀬戸線に行きました。名古屋城のお堀の中を堀川から東大手まで走り、国鉄中央線との接続駅、大曽根を経て、尾張瀬戸に達する約20kmの他の名鉄線から孤立した架線電圧DC600Vの鉄道でした。ダークグリーンの年代物の電車がM+Tc、2連でのんびり走っておりました。高性能カルダン車が疾走する本線系統とは同じ名鉄とは思えませんでした。
ク2121+モ605 本町ー大津町 1961-7-9
名古屋城の石塁の下をダブルルーフの木造車モ600形、モ605が行きます。大正末期(大正14年製)のよくあるスタイルの電車です。
ク2232+モ252 本町ー大津町 1961-7-9
ク2230形もモ600形と同じスタイルの電車です。
モ603+ク2041 東大手ー大津町 1961-7-9
お堀の上は住宅が密集したところもあり、一寸、異様な光景でした。
モ603+ク2041 大津町ー東大手 1961-7-9
モ603は同じ600形でも丸屋根でした。相棒のク2040形、ク2041は木造車を鋼体化改造したのか、角ばった電車でした。
ク2222+モ602 東大手ー大津町 1961-7-9
ク2220形、ク2222は明らかにガソリンカーから転身した車ですね。
モ566 東大手ー大津町 1961-7-9
モ560形、モ566は昭和初期(昭和2年製)の半鋼製電車です。
工場、検車区は喜多山にありました。
モ251+ク2231 喜多山 1961-7-9
モ250形、モ251は1923年(大正12年)製の木造車ですが、訪れた年(1961年)3月に簡易鋼体化更新された電車でした。貫通扉もあり、一寸、阪神の古い電車に似ていますね。
モ605+ク2121 喜多山 1961-7-9
急行運転もされていました。木造車2連の急行なんて、当時でも少なかったのではないでしょうか?
ク2121+モ605 喜多山 1961-7-9
モ605の相棒のク2120形です。、ク2121は 筑波鉄道が1925年(大正14年)に増備した電車形客車ナハフ101形、ナハフ101を三河鉄道が譲受し、制御車化したもののようです。筑波鉄道は電化を計画していましたので、電車に転換出来る様に、電車形客車を作ったようです。
ク2233+モ201 喜多山 1961-7-9
モ200形、モ201は1923年(大正12年)製ですが鋼体化改造されていたようです。
ク2231+モ251 喜多山 1961-7-9
ク2041+モ603 喜多山 1961-7-9
モ603を横から眺めてみますと、扉の上が円弧を描いており、丸屋根と共に他の600形と少し変わっております。
モ563 喜多山車庫 1961-7-9 ク2273 喜多山車庫 1961-7-9
当時、瀬戸線に走っていた電車は大正末期から昭和初期に作られたもので、既に、車齢は40歳に近くなっていました。
モ600形、ク2230形、ク2270形等の木造車がこの線の歴史を背負っているような感じを持ちました。名鉄のDC600V線区は淘汰され、少なくなっていましたので、それらの線の電車も瀬戸線に来ていたのでしょう。モ560形のように、昭和10年代のスタイルの電車もいましたが殆どがオールドタイマーでした。
1978年(昭和53年)に栄町ー東大手間の地下新線が開通、東大手ー堀川間のお堀を通る部分は廃止されました。同年、DC1500Vに昇圧され、車両も一新されました。
この時、ご一緒した友人むーさんのホームページの
を是非ご覧頂きたく思います。瀬戸線の名物「ガントレット」を撮り忘れてしまったようですが、
流石、鉄道ファンの先輩のむーさんはしっかり撮っています。
TERUTERU MAEDAさんのホームページ”まえだやしき”を紹介させて頂きます。
時代の異なる瀬戸瀬の写真が載っております。
下記をクリックしてご覧願います。(立ち上がると同時に汽笛がなります!吃驚しないで下さい。)
謝辞
HTさんより、ク2121の興味深い前歴に付きご教示頂きましたので、追記させて頂きました。本当に有難うございました。
参考文献
鉄道ピクトリアル 1961年7月号Vol.20 私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道(補遺)
(2007-5-22)
(2016-11-1)タイトル更新