筑豊電鉄は西鉄北九州線貞元(現熊西)から分岐して、筑豊直方に達する 電鉄で、西鉄北九州線の電車が乗り入れていました。北九州市から直方経由で福岡までの路線の建設を計画しており、昭和34年(1959年)に直方まで、開通したものです。

 昭和39年(1964年)の友人と廻った九州鉄道旅行では、門司から、筑豊の国鉄を廻り、直方に達しました。国鉄直方駅から一寸歩き、建設途中のように高架が切れているような筑豊直方駅にたどり着きました。

 1435mmゲージ、全線複線、専用軌道で、高速高床電車も走れる立派な軌道でした。

 

筑豊直方駅      1964-4-26

 

 鉄道の駅のようですが、路面電車タイプの電車が待っていました。

 

1001系 1032 筑豊直方 1964-4-26

 

 西鉄北九州線の連接車が発車を待っていました。

 

1001系 1044 筑豊直方 1964-4-26

 

 電車は遠賀川の橋梁を渡り、高架上を走り、筑豊直方駅に到着します。

 

1001系 1044 新木屋瀬ー楠橋     1964-4-26

 

 筑豊直方を出て、しばらく、のどかな田んぼの中を快走します。

 

1001系 1040 楠橋     1964-4-26

 

 10分ほどで車庫のある楠橋に到着です。昭和39年当時、電車は全て西鉄所有のものでしたが、車庫はありました。筑豊電鉄は西鉄の100%子会社ですので、このようになっていたようですが、乗務員は筑豊電鉄所属でした。

 

1001系 1055 楠橋車庫     1964-4-26

 

 楠橋車庫には3車体連接車が居りました。 2両連接車、1055A+1055Bに後から中間車1055Cを追加したようで、中間車の色のみ、鮮やかです。昭和39年当時は通勤客などの増加があったのでしょう。

 

1055の運転台 楠橋車庫     1964-4-26

 

 北九州線の連接車の正面真ん中の窓の中央には金属の縦桟があり、運転台は桟より左に設けてありました。

 

501系 509 楠橋     1964-4-26

 

 筑豊電鉄線内は連接車での運行が多かったと思いましが、たまに、ボギー車も入ってきました。

 

601系 633 楠橋     1964-4-26

 

 沿線は最近では市街地化が進んでいるようですが、昭和39年当時はわらぶき屋根の農家もあり、のどかでした。街中の雑踏や工業地帯を走ってきた 北九州線の電車もホッとしているようです。

 

1001系 1007           1980年頃

 

 昭和55年(1980年)頃の西鉄からの乗り入れの連接車です。朱系に黄帯の塗色になりました。

 

2001系 2004        1980年頃

 

 昭和52年(1977年)には初めて、自社の車両を持つことになりました。一部廃止の福岡市内線の連接車1201系、1301系に北九州線1000形を中間車に改造し、2001〜2005の3両連接車を作りました。中間車にも扉があり、北九州線の3両連接車より長く、大牟田線特急車とおなじ、 黄色に朱帯、前照灯、尾灯一体のケースが2つが睨むスタイルになりました。

 

2001系 2006        1980年頃

 

 2001系の中で、2006,7は北九州線1000形の改造車で、方向膜が大きく、中間窓が少し、上がっていました。

 2001系は現在でも、吊り掛けの音も高らかに快走しております。

 福岡への伸延は出来ませんでしたが、筑豊電鉄は北九州市郊外の住宅地の足として、現在も走り続けています。

 

(2007-2-6)
(2016-11-6)タイトル、一部画像拡大更新


 

 


(トップページ)(別館)

          (本館)