1963年のゴールデンウィークに友人と東北鉄道旅行に出かけました。4月27日夜、上野を発ったこの旅行も、5月1日が最後の日になってしまいました。電報で呼びかえされたのです。最後に、羽後 交通を見ることにしました。羽後交通には奥羽本線の横手からの横荘線と湯沢から出ている雄勝線がありましたが、迷わず、雄勝線に行くことにしました。明治時代の4輪客車があると聞いていましたので!
この旅に同行した友人、宮さん撮影のカラー画像を追加致しました。古典4輪客車とはいささかアンマッチングなデハ7の装いをご覧願います。(2006/07/17追加)
デハ7+ハフ11+ハフ13 西馬音内行 湯沢 1963-5-1 デハ7牽引西馬音内行列車の荷扱い 湯沢 1963-5-1
湯沢駅で跨線橋を渡り、雄勝線の木の屋根があるホームに行くと、この時代の平均的なスタイルの電車が客を待っていました。高床式電車ですが、ポール集電で、そのために、ヘソライトである点が一寸かわっていました。この電車はデハ7、 西武所沢工場で、古い車両を利用して作られた半鋼製ボギー車で、羽後交通には、この年に来たピカイチの電車でした。この電車は木造4輪客車2両とワフを牽いていました。ワフでは荷扱い中でした。
雄勝線は湯沢ー西馬音内(にしもない)−梺(ふもと)間11.8km、1067mmゲージ、DC600V電化の路線です。 湯沢ー梺間列車は6往復、この他に西馬音内迄の列車が4往復ありました。運転時間は湯沢ー梺29分で、電化路線であるにも関わらず、のんびり走っていました。
デハ6+ホハニ2+トム 湯沢行 羽後三輪 1963-5-1
早速、デハ7牽引の列車に乗りました。羽後三輪で、列車交換です。デハ6が木造ボギー客車と材木を積んだトムを牽いている列車が来ました。デハ6も西武所沢工場製半鋼製ボギー電車で、1959年(昭和34年)に羽後交通にきたものです。
デハ6+ホハニ2+トム、湯沢行の進入を待つ降車客 羽後三輪 1963-5-1
牽引されている木造ボギー荷物合造車、ホハニ2は1955年(昭和30年)に国鉄より譲り受けたもので、車長は約17mあり、12m強のデハ6より巨大に見えました。
デハ6牽引湯沢行とデハ7牽引西馬音内行の交換 羽後三輪 1963-5-1
デハ7(車長、約13m)は木造4輪車、小さな(長さ約8〜9m)ハフ11、ハフ13、ワフ1を牽引していましたので、電車の方が立派に見えました。電車と客車の間には直通ブレーキは無く、電車のエアーブレーキのみで、制動をかけているようでした。
西馬音内は沿線最大の町で、車庫もここにありました。
西馬音内駅 1963-5-1
西馬音内駅は大きな木造2階建てです。駅前は未舗装で、ぬかるんでいます。バスだけがイヤに立派に見えます。
デハ1形、デハ3 西馬音内 1963-5-1
デハ3車内 西馬音内 1963-5-1
デハ1形は1928年(昭和3年)、雄勝鉄道開通時に作られた木造単車です。デハ1〜3迄ありましたが、訪問時はデハ1、3のみが西馬音内車庫に居ました。長さ8m強のかわいらしい電車で、直接制御、ハンドブレーキのみのようです。この電車が木造4輪客車を牽いて走ったのでしょうね。昭和3年といえば、近鉄のモ2200が上六ー宇治山田間を100km/hを越える高速で走り始める時期ですが、このようなささやかな電車で開業した電気鉄道もあったのですね!
デハ4 西馬音内 1963-5-1 デハ5 西馬音内 1963-5-1
デハ4は1950年(昭和25年)に日立電鉄より譲り受け木造ボギー電車です。この後、電装解除され、客車化されたようです。デハ5は都電150形(元王子電車の車)の車体を利用して作られた半鋼製ボギー電車です。
デハ7に牽かれるハフ11 湯沢 1963-5-1
ハフ11 湯沢 1963-5-1
ハフ11の製造銘板 西馬音内 1963-5-1
当時の鉄道ファンのお目当てはハフ11でした。独特なダブルルーフを持った木造4輪客車で、台枠には「天野工場製造、明治41年1月」の銘板もありました。長さ、約8mの小さなもので、明治時代のマッチ箱と言われた客車で、現在、明治村に保存されているとのことです。
ハフ13 湯沢 1963-5-1
ハフ13はオープンデッキを持った長さ約9mの木造4輪客車で、ハフ11より若干、若く、大正1年、新宮鉄道工場製です。
ホハフ2 湯沢 1963-5-1
ホハフ2は明治43年、神戸工場製の木造ボギー客車で、1954年(昭和29年)に国鉄より、譲り受けたものです。
ワフ1 湯沢 1963-5-1
列車に連結され、荷物輸送に活躍していた木造4輪緩急貨車ワフ1も国鉄からの譲受車でした。
デハ7+ワフ1+ハフ13+ハフ11 湯沢行 西馬音内 1963-5-1
西馬音内で折り返しの湯沢行は来たときとは反対にデハ7+ワフ1+ハフ13+ハフ11の編成です。これに乗り、湯沢に帰りました。
デハ6+ホハフ2+ホハニ2 下り列車進入 羽後三輪 1963-5-1
羽後三輪では下りのデハ6がボギー客車2両を牽いてきました。湯沢に上った時はホハニ2のみでしたが、ホハフ2も連れてきました。木造とは言え、17m車2両の牽引は重そうでした。
デハ6牽引下り列車とデハ7牽引上り列車交換 羽後三輪 1963-5-1
駅に到着しましたが、ホームの長さが足りず、モハニ2の乗客は前の扉のみから降りていました。
昭和38年と言えば、翌年には新幹線が走り初め、5年前の昭和33年には近鉄の初代ビスターカー、電車特急「こだま」号が走り始めました。このような時代に、明治の香りを残した木造客車がのんびりと電車に牽かれ、走っていました。牽く、電車だけは、少し新しい装いを纏っており、一寸、アンマッチングではありましたが!
デハ7+ハフ11+ハフ13 西馬音内行 湯沢 宮さん撮影 1963-5-1
この鉄道も、バスの台頭などにより、1973年(昭和48年)には全線廃止になってしまい、今では、その名残も殆ど無くなっているようです。
参考文献
鉄道ピクトリアル、通巻173号 1965年7月 臨時増刊 私鉄車両めぐり第6分冊 「羽後交通」
宮さん撮影のカラー画像は、より転載させて頂いたものです。宮さん、むーさんに謝意を表したいと思います。
(2006-2-15)
(2006-7-17追加更新)
(2016-11-7)タイトル更新